Dangerous Charms

個人の感想です

中森明菜「BITTER AND SWEET」

オリジナル盤発売日:1985年4月3日

中森明菜8thアルバム。
先行シングルとして「飾りじゃないのよ涙は」のアルバムミックスを含む全10曲。55.6万枚を売り上げた。

与えられた曲の中でどうにか自我を発揮していたプロローグ〜エトランゼ、自分にふさわしい歌を意識しだしたアニバーサリーとポシビリティ、その中でフュージョン(70年代半ばに成立したユダヤ人経由の、様々なジャンルの融合音楽)というひとつのヒントを得て、その次の手としてぐっとそこへ踏み込んで制作したのが今作だろう。
(デビュー前から高中正義ファンでもあり、「十戒」「秋はパステルタッチ」は彼の提供曲である)
今まで出してきたシングル候補とその他の寄せ集めアルバムと違い、外部から角松敏生をスーパーバイザーに迎えるという異例の人選で、ひとつの統一したアルバムをようやく作り出すことができた。
LPではA面がビターサイド、B面がスウィートサイドと呼ばれていて、それぞれに合わせた曲を割り振っている。タイトル文字が表と裏に分かれていることからもそれが読み取れる。
CDだと連続してしまうので後半が眠たいアルバムのような印象を持つ人がいるかも知れないが、レコード時代ならではの構成のアルバムであることを念頭に置いてもらいたい。

これまでオリジナルアルバムは何度か再発売されているが、既に配信もされた上の5回目の再発売にもかかわらず2014年にリリースされた廉価盤の中で今作が唯一ランクインしたほど根強い人気作なだけあって、前作からまたひとつ階段を昇ったことがありありと分かる曲が次々にやってくる。いいアルバムは余計なこと言わず黙って聴けでおしまい、はい一丁あがりにしたいけど、そうもできないので以下レビュー。

まずはビターサイド。
「飾りじゃないのよ涙は」
(作詞・作曲:井上陽水/編曲:萩田光雄)
説明不要の井上陽水提供曲のヒットシングルで、明菜のアーティスト化のメルクマールとなった。シングルと違ってだいぶバスドラがバカスカ響くダンスミックスになっており、サビにかけられていたボーカルエフェクトが外されていて、オリジナルの歌唱を楽しめる。でもラストでカット&ループするので評価が分かれるかも。
この前のシングルが「十戒」だったことは改めて信じがたい。

「ロマンティックな夜だわ」
(作詞・作曲:EPO/編曲:清水信之)
明菜さんがファンだというEPO提供曲。ホーンセクションに負けないパワフルな歌唱がよい。
ちなみにこの曲、2006年の紙ジャケ盤では何だか音が右にパンしすぎているような気がするのだが大丈夫なのか。

「予感」
(作詞・作曲:飛鳥涼/編曲:椎名和夫)
チャゲアスASKA提供曲。個人的には95年のセルフカバーの方がぐっと上手くなってて好きだけど、こちらの若い声でも充分説得力あるバラード。

「月夜のヴィーナス」
(作詞:松井五郎/作曲・編曲:松岡直也)
ミ・アモーレでおなじみ松岡直也提供曲。こちらはシンセを前面にしたダンスポップス。

「BABYLON」
(作詞:SANDII/作曲:久保田麻琴/編曲:井上鑑)
サンディー&ザ・サンセットのSANDIIと久保田真琴による提供曲。ニューロマを意識した洋楽的な構成の曲を明菜さんが今までにないほど伸び伸びと歌う。これを聴いていると、エトランゼの収録曲たちが霧の彼方へと消えていくのを感じる。ちなみに赤い鳥逃げたのB面にリミックスが収録されているが、ラップともコーラスとも言えない男性ボーカルが入っていて個人的にはあまり好きではなかった。

そしてスウィート・サイド。
「UNSTEADY LOVE」
(作詞・作曲・編曲:角松敏生)
角松敏生提供曲。20になったばかりのまだ若さを残す声だからこそ成立するポジティブな別れ歌。88年以降のボーカルだとこの軽やかさは出せないだろう。

「DREAMING」
(作詞:斉藤ノブ/作曲:与詞古/編曲:AKAGUY)
今では夏木マリのお相手としても有名な斉藤ノブ作詞、AKAGUYのボーカル与詞古作曲の名前通りのドリーミーなボサノバ風ミディアムソング。まだ20になったばかりの明菜さんの声でこんな甘ったるい歌い方されたら萌えずにはいられない。最後のフゥ!という小さなフェイクが最高。

「恋人のいる時間」
(作詞:SHOW/作曲:神保彰/編曲:井上鑑)
カシオペア神保彰提供曲。ここまでくると男性ボーカルの方が栄えそうな哀愁も漂ってくる曲までこなしていく。こういう世界観は松田聖子では表現できない。

「SO LONG」
(作詞・作曲:角松敏生/編曲:角松敏生瀬尾一三)
角松氏によるバラード。こちらもまたどこかポジティブさを感じる別れ歌である。この頃の柔らかい声もいいけど、今の声でも是非聴いてみたい。

「APRIL STARS」
(作詞・作曲:吉田美奈子/編曲:椎名和夫)
吉田美奈子提供曲。最後にまったりと締め。まるで子守歌にも思える柔らかな歌声でゆっくりと幕を閉じる。

人によってはこのアルバムを背伸びしすぎだと感じることもあるようだ。確かに、後のボーカルと比べたらまだこの頃は若々しくて、いきなりクールな曲を歌い出した違和感はあるのかも知れない。
だが、この若々しいボーカルだからこそ軽やかで深刻すぎないバラードが成立しているのである。
例えば90年代以降のボーカルでUNSTEADY LOVEを歌ったとしたら、上手さはそちらだろうが空気はまるで違うものになるだろうから。
ちなみにジャケットの写真は篠山紀信撮影である。山口百恵に追いつき、追い越そうとしている境目の時期に彼を選択したのはあえてではないだろうか。特に裏ジャケットの表情は歌以上に百恵的。
このアルバムで「山口百恵フォロワー」の文脈で語れる範囲であった彼女の歌の世界観は大きく変化・飛躍を遂げていくことになる。