Dangerous Charms

個人の感想です

中森明菜「BEST」

オリジナル発売日:1986年4月1日

中森明菜、初のシングルコレクション。ベストアルバムとしては「BEST AKINA メモワール」に続く2枚目。
(Seventeenも内容としてはミニ・ベストと言える)
このアルバムも当初はメモワールと同じ構成、つまり「北ウイング」から「SOLITUDE」までのシングルA面と、アルバムから少しという内容になる予定だったが、結果的にはシングルコレクションとなった。
(正直言ってそっちの構成で聴いてみたかったような…。ANNIVERSARY以降のアルバム曲にいいの多いから)
タイミングとしては「DESIRE」が2月にリリースされた直後だけあって、この時点で最大のヒットかつロングセラーアルバムとなった。

シングルコレクションとはいっても曲順に工夫が凝らしてあり、「SOLITUDE」をヘソにした対照的な割り振りがなされている。
「SOLITUDE」を中心として、前半に清順ソング、後半にツッパリソング、ヘソの両脇に異国情緒ソングで固めるという面白い並びで、「スローモーション」で始まって「少女A」で締めるというのも何やら示唆的な感じ。

このアルバムからLPとCDが同時リリースされるようになったため、CDで聴かれることを考慮した可能性もあるのでは?それならLPとしては物理的にムリがある曲数にも納得がいくから。

「スローモーション」
まだ何色かも分からない歌手のデビュー曲としてはこれ以上ないであろう名曲。恋に恋する女の子といった感じではあるものの、過剰な媚態も少女趣味もない。更に来生たかおの非歌謡曲的メロディーが清新さを底上げする。デビューしたばかりで余計な色を付ける必要はないのだ。山口百恵を明らかに意識していた明菜ではあるが、安易なコピーを目指さずにこの曲を選択したのは慧眼であった。
だがこの曲は歌番組での歌唱の方が遥かに魅力的。念願の歌手になれて嬉しくてたまらないといった感じの伸び伸びとした様子とともに楽しむのが良い。

「セカンド・ラブ」
ブレイクのためのダメ押しとして更に難しい曲に挑戦させたという。元々は大橋純子への提供を想定して書いていた曲を幸運にもゲット。結果的に最大のヒットシングルとなった。二度目の恋なのに、好きな人に好きと言えず、セーターの袖をつまんで俯くしかできない…という、あまりにいじらしいこの曲は、アイドルとしてブレイクするにはスローモーション以上の大正解だし、少女Aの啖呵切りからのセカンド・ラブでのいじらしさ(今でいうツンデレか)という凄まじい落差は野郎どものハートを見事に鷲掴みし、時代の象徴へと成長していくことになる。

「トワイライト」
セカンド・ラブの次を期待されていたと思うのだが、どうにも肩を並べるには力不足が否めない曲。来生曲にしては歌謡曲感が強いし、大げさなイージーリスニング風のアレンジもそれを強めている。ひとり旅をしながらも、やっぱりあなたと一緒にいたいという本音をハガキに書くことができない、という明らかにセカンド・ラブを意識したいじらしさが、リアリティに欠けているというか、あまりに回りくどくなって感情移入を殺いでしまう。
ただ、この曲はどうやらボーカルが加工されてキーを無理矢理上げられたという話があるようで、聴いてて違和感がある。歌番組ではキーを落として披露しているが、そちらの方が魅力的である。
(あとこれはこぼれ話だが、1989年にリリースされたゴールドCD仕様では何故かメモワール版のミックスに差し替えられている。そして2006年にリリースされた紙ジャケットでもメモワール版。2012年にリリースされたSACDでは元に戻っている。このへんの事情についてのアナウンスは一切ないので理由は不明である)

「北ウイング」
これまで清純とツッパリというねじれの位置にある路線をとっかえひっかえしながらリリースしていたシングルでの歌世界が、ここで邂逅した。作曲者の林哲司が意図的にこの二つの路線を止揚させたという。これまでは恋に恋するか、逆ギレするかしかなかった少女の恋愛が、愛のために自ら行動に出るというテーマのこの曲でようやく実存的になっていく。

「サザン・ウインド」
愛を求めて旅立ったかと思いきや、いきなりリゾート地での「リゾラバ」を期待している、少女Aとは別の意味で衝撃的な曲。時代はバブル前夜、女だって男漁りしてもいいじゃない。そんな歌詞を来生えつこが書いてるのもまた驚き。女とはかくも変化するものです。

「SAND BEIGE -砂漠へ-」
アルバム初収録。ミ・アモーレでリオでカーニバルに参加したかと思えば次は砂漠へ。異国を彷徨う姿はANNIVERSARYの頃から提示されてきたが、やはりラテン・中近東あたりがいちばん似合う。
裏打ちメインのリズムと息継ぎのないサビ、これはもはやアイドルの為に書かれた曲ではない。
ちなみに「アナ・アーウィズ・アローホ」というアラビア語が出てくるけどこれだと男性形らしい。正しくは「アーウィザ」。

「SOLITUDE」
唐突に渋い曲。実は「D404ME」に収録予定だったものが明菜さんの意向でシングルA面に選ばれたという。同じタケカワユキヒデ作曲による「ピ・ア・ス」が「D404ME」でヘソの役割を担っているのは偶然か。「ミ・アモーレ」でレコ大確実だし「SAND BEIGE」もヒットしたんだから次は趣味に走らせてよね、という声が聞こえてきそうなこなさそうな。
これを出された当時のファンはびっくりしただろうな。それ以前の明菜とそれ以後の明菜への分水嶺となった曲かも知れない。この次のシングルが「DESIRE」なので、まだ「SAND BEIGE」で微かに残っていたアイドルとしての明菜に完全に別れを告げた曲。
同期アイドルはこれを出された時「もう敵わないな」と思ったとか何とか。
ただ、当時の声でこの曲を表現しきっていかたと言われたらまだかな、と思う。私は89年「EAST LIVE」での歌唱がいちばん好きです。

「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」
シングルバージョンはアルバム初収録。
なんでリオのカーニバルでサンバなのと言われそうだが、実はデビューの早い段階から「Bon Voyage」「アバンチュール」「メランコリー・フェスタ」「地平線(ホライズン)」と、アルバム曲でじっくりと「ミ・アモーレ」に至るまでの前哨戦が行われていたのである。
いくら同じワーナーとはいえ、インストゥルメンタルがメインで歌謡曲作家ではない松岡直也氏に曲を書いてもらうという発想はどこから来たのだろうか。歌モノ作家としての実績は殆どないといっていい人だったのに。結果的に逆転ホームランとなったからよかったけれど…。
これは余計な話だが、「ミ」はスペイン語、「アモーレ」はイタリア語である。スペイン語なら「ミ・アモール」だし、イタリア語なら「ミオ・アモーレ」になるはず。
だが舞台となったブラジルの公用語ポルトガル語。どういうことですかカンさん。
一応副題にポルトガル語が付いているけど「私の愛は…」と少し違う内容になっている。
ま、書いた後からツッコミが入ったものの思いっきりアモ〜レ〜って歌い上げちゃってるのでポルトガル語は副題としてくっつけざるを得なかったんだろうな。でも「ミオ」にしなかったのは勘違いか(あくまでも日本語からみた)語感を優先したのかは分からない。
ヒット曲にはよくあるエピソードである。

「飾りじゃないのよ涙は」
シングルバージョンはアルバム初収録。
やはり売野さん作詞のツッパリソングと比べたら世界観の構築が段違いだなと感じる。
中森明菜は「反」ではなく「非」であるという批評をした方がいるけど、まさにそれを体現したのがこの曲。

十戒(1984)」
タイトルが意味不明。売野さんが当時住んでた住まいが10階だったことからきてるとかいう話をきいたが本当なのだろうか。
これは明菜ツッパリの集大成として最後の花火のように放たれた曲。細野さんでは変なことになっていた歌謡ロックと打ち込みの関係性を、高中さんでリベンジしたと思われる。
シンセによるリズムと、ここぞという時にさりげなく配されたSEやキラキラ音やオケヒットがやり過ぎ感をギリギリに留めている。
もはや少女の顔を覗かせるような真似はやめて、歌詞は優しいけれど自分からアプローチしない男に「イライラするわ」とアジテートする女性となったことで、おそらく次のステップへの橋渡しをしたのだろうな。この次のシングルが「飾りじゃないのよ涙は」である。

「禁区」
メロディは歌謡曲にしてあるのにアレンジが中途半端にテクノで変。細野さんによる淡々としたテクノのリズムと、萩田さんによる歌謡曲のアレンジがねじれの位置にあるので、明菜さんの歌唱もどっちへ寄せればいいのと言わんばかりのもたつき方をしているように聞こえるのだけど。そのせいか、ヒットシングルの割にライブで滅多に歌われない曲となってしまった。
まあ、これの前に松田聖子に書いた「天国のキッス」も聖子さんの歌声とリズムのいかにもな電子音の組み合わせがなんか気持ち悪いので、テクノポップスはまだまだ過渡期だったんだろうなぁ。

「1/2の神話」
「いいかげんにして」とキレながらも「誰も私分かってくれない」と本音を吐露する、少々Aの正統的二番煎じ。まだツンデレという言葉が生まれるはるか以前にツンデレの概念を歌詞にした売野さんの先見性たるや。そしてソロデビュー前の大澤誉志幸を起用するセンス。大澤さんもきっちりと要望に応えて少女Aのインパクトに負けない作曲をしてくれた。そして萩田さんの編曲も前にも増してテンションアゲアゲである。これが歌謡曲というものなのだ。

「少女A」
未成年犯罪者の仮称としてのA、ワンオブゼムという意味のA、そして明菜のA。
何やらスキャンダラスなものを感じさせるタイトルと、自ら男性にグイグイと迫っていく少女。この曲でまるで不良少女のような印象を持たれたことで、後々までこの曲があまり好きではないと言うほど良くも悪くもインパクトを残したブレイク曲ではあるけど、実はそういう内容ではないことは、歌詞を読めばすぐ分かる。
当時の新聞の投書欄に、女子高生によるこのような文章が掲載されたという。

”私は不良でもないし学校ではクラス委員もしていて他人からは優等生と思われてるけど、私だけが知っている本当の自分の歌だと思った。これを不良少女の歌だと考えるのは自由だけど、間違えだと思う。私のような『少女A』が生きていることもわかってほしい(一部抜粋)”

不良でも何でもない「特別じゃないどこにもいる」少女の中に宿る誰にも知られず誰にも言えずにいるもうひとりの自分の歌なのだ。
この歌を聴いた日本中の少女が「少女Aは私だ」と共感したからこそヒットしたわけだし、ファンタジーな佇まいの松田聖子とも女優的な佇まいの山口百恵とも違う、リアリズムを歌うアイドルとなっていったのである。