Dangerous Charms

個人の感想です

顔のない女─よしながふみ「愛がなくても喰ってゆけます。」

よしながふみではなく「BL漫画家YながFみ」という人物を主人公にした、食べ物にまつわるエッセイとも食レポとも近況ネタとも区別し辛い短編集である。
これって「私たちは繁殖している」の「ジジ」とか、波津彬子作品の巻末に出てくる「波頭濤子」みたいなものだろうか?
でも出てくる店は各話の終わりによしながふみ本人のコメント付きで紹介されているので本物である。かいつまむと、よしながふみが行く店を「YながFみ」というキャラクターが他のキャラクターとなんやかんやしながら飲食して、その感想が結果的に食レポとなっている、というちょっと複雑な構造の漫画なのだ。

漫画家の自画像問題というのが一部であって、男性漫画家は自画像を描くと自分をそのまま描いたり、簡略化しても本人の顔かたちが分かる似顔絵になっていることが多いのだが、
女性漫画家の場合は本人と全く違うキャラクターにしてしまうことが多い。ものすごく単純化してちんちくりんにしたり、性別不明にしたり、動物にしてしまったり。
本人より可愛く描くのは一条ゆかりくらいである。
(江川達也の美形自画像は、作品ごと小林よしのりへのアンチテーゼの形になっているので当てはまらない)

で、この作品の自画像(じゃなくてYながさんか)の描き方なのだが、これがコロコロ変わるのだ。
基本ラインは「原稿やってる時は汚らしい顔のブスだが、お出かけの時はケバめの美人」となっている。
だがそのふれ幅があまりに極端なのである。
原稿中の汚い顔の時は、妙にリアルに、顔にブツブツを描きトーンで陰影まで表現してこれでもかというくらいドブスにする。体型もデブだったりする。
だがいざ食事に出かける時は、一転してケバいがかわいらしくてナイスバディの姉ちゃんに変わる。すわった目からパッチリお目々に変化もしている。
(といってもこの人、美形の描き分けができないのでどれだけのレベルなのかは分からないが)
そしてギャグ絵になった時の、あの独特なイカみたいな顔にもなる。
これ、よしながの漫画を初めて読んだ人には同じキャラクターだと理解できない可能性があるのでは…?

中村うさぎによると、女性漫画家の自画像は「ナルシズムの封印」だという。
「自分がどういう姿か」ではなく「自分をどう見ているか」を描き、他者からのナルシズムの指摘を逃れているというのだ。それを考えると、自分の姿と関係ない動物にするのも、かけはなれた単純化をするのもよく分かる。

よしながふみの場合はというと、こんな数ページのエッセイ漫画をメタフィクショナルな世界にした上こんなに本人像(もといYながさん)だけがコロコロ変化するということは、自分をどう見ているかすら定めきれないか、あるいは隠蔽を図っているのではないだろうか。
そしてそれは、本人のナルシズムがそれだけ強烈で、自分自身を棒人間に描くことすらやりたくないことの裏返しである。
それでも仕事を頼まれて、自分を登場させなくてはならない。じゃあどうするか?ということで主人公は(一応)別人を出し、性別不明のドブスとケバい姉ちゃんの両極端を行く女として表現したのだ。

だがこのように描写することで、却って本人のナルシズムが浮き彫りになってしまった。ドブス顔はあまりに卑屈だし、美人顔の時にはちょこちょこ自慢(ブラ無しでも乳の山など)が挟まっている。むしろこの自慢を隠す為のドブス描写なのではないかと疑ってしまう。
(ブスに描くと「絵より美人じゃないですか」って言われたいのかよ!と叩かれるし、美人に描くと「なんだ全然違うじゃねーか」と叩かれるのだ。女性作家はたいへんだ)
よしながふみはギャグのつもりでこのようにしたのかも知れない。でもギャグとして見てもどこで笑えばいいのか分からないのである。

そもそも同居人として出てくるS原ってのも、実在するのかしないのか怪しい男だ。お互いのことを知りつくしてるのに、そこから肉体関係のみが除外されているという腐女子フェミニストがよく憧れる、理想的な男女間の友情を表したかのような男だ。
周りも男女で同棲しているというのに関係を疑ってるフシがないというのも妙な話である。
だいたいサークルの後輩なら、かなり高学歴だぞ彼って。親は泣いてるだろう。そういえばプーしてたのに出版社に入れて貰えそうになるエピソードがあった。さすが某大出!
(同じアシでも内田春菊と前々夫の顛末とは雲泥の差。育ちの違い?)
こういう男はサイバラくらたま・春菊の作品では確実に地雷として出てくるが、なんだか微笑ましさのある関係である。
インタビューでトリックの山田と上田の関係性をすごく評価していたのは、ああいう男女描写に憧れているのだろうか。

でもよしながふみご本人は、知っての通り同人作家から商業BL作家になり、いまは一般誌でご活躍中の方で、当然同人イベントにも出ているので当時の姿を知っている腐女子の方もいて、それなりに情報はあるのだが…まあそこは触れないでおこう。後のインタビューで若い頃は厭世的だったと語っているので、もしかするとYながさんも彼女に絡む人物も理想の姿なのかも知れない。

だとしたらオトコに対する理想や幻想が強すぎるし、隠してるようでダラダラ漏れてるナルシズムも相当なもんだし、こじらせてるとしか思えない。なんだかくらたまと共通するものを感じてしまう。漫画に対する愛情は違うが、本人の内面に。

そういえばもうひとつ、同性愛者である友人のエピソードで自分がBL作家であることも含めて同性愛者に対して負い目を抱いて、ヘコヘコ謝罪している描写があった。
あれは商業BLから「何食べ」のリアルゲイライフへの伏線だろうか。ぶっちゃけ差別の裏返しなのでやめていただきたいし、何よりもあの描写で「腐女子」と「BL」をゲイに「失礼な連中」と熨斗を付けて売り渡したことでミソジニーへの荷担にもなっていることに気付くべきだと思うのだが。
何食べでやってることはリアルゲイとは程遠いエリート萌えメンズラブだから何も変わってないよお前、というのは置いといて。

ちなみに。
よしながふみを知ったのはベタに「西洋骨董洋菓子店」なのだが、読んでみたとき最初に思ったことは「まーた西村しのぶワナビか」だったのだ。まだスラダン同人出って知らなかったので。

自分の好きな実在ブランドアイテムを散りばめたり、今現在ハマっているものをキャラクターにやらせたり、でも何より「ちょっと待てよそれヤバくない?修羅場じゃない?犯罪じゃない?」と冷静に見たら思ってしまう危なっかしい関係性をサラリと描いて、なんだか理想的でスマートに見せてしまう西村しのぶの手腕は女性作家に多大な影響を与えているのでは。破天荒遊戯でセリフ丸パク見つけたこともあるし。
(水商売の女性をなんの卑屈さも感じさせずに描ききれるのは彼女だけだと思うぞ)

翻ってよしながふみは、そこらへん下手くそだなって思ったのだ。ケーキうんちく的な部分はなんだか本に書いてあること丸写ししたかのような(実際してたんじゃなかったか)雑なネームだし、ギャグもここ笑うところ?と冷静になってじう。
魔性のゲイ(笑)はまだしも、雨の中で誘うとことか、千景がグラサン外した素顔(他のキャラと変わらず)を見て恋に落ちるとことか、ギャグではないであろう場面で思わずプッと来てしまうのだ。

あと資料がいらないはずの料理描写も、これでも何食べでも長尺ネームでダラダラダラと語らせて済ますので、本質的に漫画を描くのがうまくない人なのかも。
アマゾンレビュー等でよく「よしながふみは調べてる」という評価をされるが、そりゃー資料丸写しすりゃそれっぽいもんはいくらでも作れるでしょ。でも彼女の描き方だと、本人の血肉になってないなってすぐ分かっちゃうのだ。
(同じスラダン同人出で、ひとコマ内の情報量の多さが特徴の羽海野チカがいるが、それと比べると「動き」がケタ違いである)
西村しのぶ「アルコール」での玉葱料理とか「ライン」でのアスパラ料理とか「一緒に遭難したいひと」での卵かけご飯と椎茸のうま煮みたいに「ああこれ食べたい!」って読んでてちっとも思わなかった。
深夜食堂」の塩こんぶキャベツみたいな世間へのバズだって起きてないでしょ?
どちらも描き分けを放棄して開き直ったかのような作風は同じなのに。いくらよしながふみがグルメでも、下山手ドレスみたいなことはやれないんじゃないかな。
だからよしながふみ評が判で押したように「さすがグルメ!」「さすがインテリ!」という内容にしかならないのは、漫画が作者以上に印象が残らず、結局は作者のスペックを評価する方へ帰結させるしかないということをよく現している。