Dangerous Charms

個人の感想です

上昇婚?


結局この記事は「上昇婚」の定義をスライドさせて狭めることによって上昇婚に当てはまる女性が少ないように見せかけているだけ。

他者な経済力で社会階層を上昇を目論むような野心を持った高望みではなくても「本来自分自身では達成できない収入を夫に求める(たとえそれが出産育児による収入低下を加味したり、親世代と同等の家庭を作ることを目的とした判断であっても)」時点でそれは上昇婚と呼ぶべきでは?
女性の望む結婚の傾向は学歴や収入に比例して生存→依存→保存と変化していくと小倉千加子は「結婚の条件」で説いた。つまりこれは、女性全般が男性側に「自分以上」の稼ぎを望んでいるということに他ならない。

上昇婚が批判されるのは「稼げる男性に寄生して社会階層を駆け上がり富裕層になろうとする強欲なフリーライダー」という意味においてではなく「夫が主な稼得者という固定観念が維持される以上、男女の地位や収入が対等になることはないので、上昇婚を容認しつつ男女不平等を訴えるのは矛盾」という意味においてである。

上昇婚を批判する側は「女性が男性に自分以上の収入を求めている限り、男性には女性よりも労働に邁進するインセンティブが生じ、結婚後の女性は自分が退職して家事・育児に集中する方が合理的になるために、男女平等な世界は永遠に訪れない」ということを問題にしている。
ところが反論側は、かつて上昇婚を「自分の父親以上の相手を求めて社会階層を上昇しようとすること」と定義した学者がいたのを金科玉条として持ち出して「女性たちは実際には社会階層を移るほど格上の相手とは結婚していない。よって女性に上昇婚志向はない」と逃げている。言葉の定義を弄くって論敵が本当に問題にしている論点をそらしているだけである。
言葉の定義を弄って逃げたところで「女性が自分より高い収入の男性と結婚する志向を持っているために男女平等社会は訪れない」というファクトは何も解決しない。

あとは長文を費やし「出産や家庭の運営のために男性に500万円の収入を求めるのは現実的に妥当な要求である」という言い訳を延々しているだけ。そうではなくて、妻が500万稼いで、専業主夫と結婚しても良いのでは?というのが上昇婚批判の根本なのだが。
「医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらない」という日本女性の上昇婚志向の根拠に関しては何と「上昇婚を諌める雑誌記事や対談記事」を引っ張って、あたかもすでに上昇婚志向がなくなったかのように反論したつもりになっている。

しかしこういうのを見るたびに本当に感心するのは、これだけの長文でこれだけの資料を引っ張る情熱と、その割に論点がことごとくズレていて何の議論にもなっていない思考力とが同じ人間に同居できることである。