Dangerous Charms

個人の感想です

顔のない女─よしながふみ「愛がなくても喰ってゆけます。」

よしながふみではなく「BL漫画家YながFみ」という人物を主人公にした、食べ物にまつわるエッセイとも食レポとも近況ネタとも区別し辛い短編集である。
これって「私たちは繁殖している」の「ジジ」とか、波津彬子作品の巻末に出てくる「波頭濤子」みたいなものだろうか?
でも出てくる店は各話の終わりによしながふみ本人のコメント付きで紹介されているので本物である。かいつまむと、よしながふみが行く店を「YながFみ」というキャラクターが他のキャラクターとなんやかんやしながら飲食して、その感想が結果的に食レポとなっている、というちょっと複雑な構造の漫画なのだ。

漫画家の自画像問題というのが一部であって、男性漫画家は自画像を描くと自分をそのまま描いたり、簡略化しても本人の顔かたちが分かる似顔絵になっていることが多いのだが、
女性漫画家の場合は本人と全く違うキャラクターにしてしまうことが多い。ものすごく単純化してちんちくりんにしたり、性別不明にしたり、動物にしてしまったり。
本人より可愛く描くのは一条ゆかりくらいである。
(江川達也の美形自画像は、作品ごと小林よしのりへのアンチテーゼの形になっているので当てはまらない)

で、この作品の自画像(じゃなくてYながさんか)の描き方なのだが、これがコロコロ変わるのだ。
基本ラインは「原稿やってる時は汚らしい顔のブスだが、お出かけの時はケバめの美人」となっている。
だがそのふれ幅があまりに極端なのである。
原稿中の汚い顔の時は、妙にリアルに、顔にブツブツを描きトーンで陰影まで表現してこれでもかというくらいドブスにする。体型もデブだったりする。
だがいざ食事に出かける時は、一転してケバいがかわいらしくてナイスバディの姉ちゃんに変わる。すわった目からパッチリお目々に変化もしている。
(といってもこの人、美形の描き分けができないのでどれだけのレベルなのかは分からないが)
そしてギャグ絵になった時の、あの独特なイカみたいな顔にもなる。
これ、よしながの漫画を初めて読んだ人には同じキャラクターだと理解できない可能性があるのでは…?

中村うさぎによると、女性漫画家の自画像は「ナルシズムの封印」だという。
「自分がどういう姿か」ではなく「自分をどう見ているか」を描き、他者からのナルシズムの指摘を逃れているというのだ。それを考えると、自分の姿と関係ない動物にするのも、かけはなれた単純化をするのもよく分かる。

よしながふみの場合はというと、こんな数ページのエッセイ漫画をメタフィクショナルな世界にした上こんなに本人像(もといYながさん)だけがコロコロ変化するということは、自分をどう見ているかすら定めきれないか、あるいは隠蔽を図っているのではないだろうか。
そしてそれは、本人のナルシズムがそれだけ強烈で、自分自身を棒人間に描くことすらやりたくないことの裏返しである。
それでも仕事を頼まれて、自分を登場させなくてはならない。じゃあどうするか?ということで主人公は(一応)別人を出し、性別不明のドブスとケバい姉ちゃんの両極端を行く女として表現したのだ。

だがこのように描写することで、却って本人のナルシズムが浮き彫りになってしまった。ドブス顔はあまりに卑屈だし、美人顔の時にはちょこちょこ自慢(ブラ無しでも乳の山など)が挟まっている。むしろこの自慢を隠す為のドブス描写なのではないかと疑ってしまう。
(ブスに描くと「絵より美人じゃないですか」って言われたいのかよ!と叩かれるし、美人に描くと「なんだ全然違うじゃねーか」と叩かれるのだ。女性作家はたいへんだ)
よしながふみはギャグのつもりでこのようにしたのかも知れない。でもギャグとして見てもどこで笑えばいいのか分からないのである。

そもそも同居人として出てくるS原ってのも、実在するのかしないのか怪しい男だ。お互いのことを知りつくしてるのに、そこから肉体関係のみが除外されているという腐女子フェミニストがよく憧れる、理想的な男女間の友情を表したかのような男だ。
周りも男女で同棲しているというのに関係を疑ってるフシがないというのも妙な話である。
だいたいサークルの後輩なら、かなり高学歴だぞ彼って。親は泣いてるだろう。そういえばプーしてたのに出版社に入れて貰えそうになるエピソードがあった。さすが某大出!
(同じアシでも内田春菊と前々夫の顛末とは雲泥の差。育ちの違い?)
こういう男はサイバラくらたま・春菊の作品では確実に地雷として出てくるが、なんだか微笑ましさのある関係である。
インタビューでトリックの山田と上田の関係性をすごく評価していたのは、ああいう男女描写に憧れているのだろうか。

でもよしながふみご本人は、知っての通り同人作家から商業BL作家になり、いまは一般誌でご活躍中の方で、当然同人イベントにも出ているので当時の姿を知っている腐女子の方もいて、それなりに情報はあるのだが…まあそこは触れないでおこう。後のインタビューで若い頃は厭世的だったと語っているので、もしかするとYながさんも彼女に絡む人物も理想の姿なのかも知れない。

だとしたらオトコに対する理想や幻想が強すぎるし、隠してるようでダラダラ漏れてるナルシズムも相当なもんだし、こじらせてるとしか思えない。なんだかくらたまと共通するものを感じてしまう。漫画に対する愛情は違うが、本人の内面に。

そういえばもうひとつ、同性愛者である友人のエピソードで自分がBL作家であることも含めて同性愛者に対して負い目を抱いて、ヘコヘコ謝罪している描写があった。
あれは商業BLから「何食べ」のリアルゲイライフへの伏線だろうか。ぶっちゃけ差別の裏返しなのでやめていただきたいし、何よりもあの描写で「腐女子」と「BL」をゲイに「失礼な連中」と熨斗を付けて売り渡したことでミソジニーへの荷担にもなっていることに気付くべきだと思うのだが。
何食べでやってることはリアルゲイとは程遠いエリート萌えメンズラブだから何も変わってないよお前、というのは置いといて。

ちなみに。
よしながふみを知ったのはベタに「西洋骨董洋菓子店」なのだが、読んでみたとき最初に思ったことは「まーた西村しのぶワナビか」だったのだ。まだスラダン同人出って知らなかったので。

自分の好きな実在ブランドアイテムを散りばめたり、今現在ハマっているものをキャラクターにやらせたり、でも何より「ちょっと待てよそれヤバくない?修羅場じゃない?犯罪じゃない?」と冷静に見たら思ってしまう危なっかしい関係性をサラリと描いて、なんだか理想的でスマートに見せてしまう西村しのぶの手腕は女性作家に多大な影響を与えているのでは。破天荒遊戯でセリフ丸パク見つけたこともあるし。
(水商売の女性をなんの卑屈さも感じさせずに描ききれるのは彼女だけだと思うぞ)

翻ってよしながふみは、そこらへん下手くそだなって思ったのだ。ケーキうんちく的な部分はなんだか本に書いてあること丸写ししたかのような(実際してたんじゃなかったか)雑なネームだし、ギャグもここ笑うところ?と冷静になってじう。
魔性のゲイ(笑)はまだしも、雨の中で誘うとことか、千景がグラサン外した素顔(他のキャラと変わらず)を見て恋に落ちるとことか、ギャグではないであろう場面で思わずプッと来てしまうのだ。

あと資料がいらないはずの料理描写も、これでも何食べでも長尺ネームでダラダラダラと語らせて済ますので、本質的に漫画を描くのがうまくない人なのかも。
アマゾンレビュー等でよく「よしながふみは調べてる」という評価をされるが、そりゃー資料丸写しすりゃそれっぽいもんはいくらでも作れるでしょ。でも彼女の描き方だと、本人の血肉になってないなってすぐ分かっちゃうのだ。
(同じスラダン同人出で、ひとコマ内の情報量の多さが特徴の羽海野チカがいるが、それと比べると「動き」がケタ違いである)
西村しのぶ「アルコール」での玉葱料理とか「ライン」でのアスパラ料理とか「一緒に遭難したいひと」での卵かけご飯と椎茸のうま煮みたいに「ああこれ食べたい!」って読んでてちっとも思わなかった。
深夜食堂」の塩こんぶキャベツみたいな世間へのバズだって起きてないでしょ?
どちらも描き分けを放棄して開き直ったかのような作風は同じなのに。いくらよしながふみがグルメでも、下山手ドレスみたいなことはやれないんじゃないかな。
だからよしながふみ評が判で押したように「さすがグルメ!」「さすがインテリ!」という内容にしかならないのは、漫画が作者以上に印象が残らず、結局は作者のスペックを評価する方へ帰結させるしかないということをよく現している。

中森明菜「ANNIVERSARY」

オリジナル盤発売日:1984年5月1日

中森明菜6枚目のアルバム。正式タイトルは「ANNIVERSARY FROM NEW YORK AND NASSAU」で、ニューヨークとバハマのナッソーにてレコーディングを行っている、らしい。発売日はデビューと同日、ということでアニバーサリーというタイトルとなっている。
時期は早いが夏向けを意識したアルバムで、実際その通りのコンセプトの曲も入っているけれど、基本的には今までと同じ、シングル候補の詰め合わせを思わせる作り。
シングルは北ウイングを収録しているが、それから始まって旅に出ました、みたいなのを意識したのかも知れない。
これまでリリースしたオリジナルアルバムは、詞・曲・アレンジ共に「懐かしいアイドル歌謡」と括ってしまっても差し支えないような内容だったものの、このアルバムから(シングルは北ウイングから)は段落が変わっている。彼女の本領発揮はむしろここからだと言える出来映え。
楽曲はもちろん、本人の歌唱からジャケットから全部「何かが変わった」と確実に感じること間違いないのでは。
まずジャケットからして雑誌の表紙を意識したオサレなものになっているし、一緒に写ってる謎のオッサン、これはバハマでのロケで警備員だか警察官だかと偶然一緒に撮ったもの。というわけで素の表情なのが丸わかりである。
アイドルのジャケットといえば顔面ドアップが基本である中、このような写真を採用したことがまず異例。
そして、楽曲面においてもエトランゼまでの出来がウソみたいに改善されている。何でも、北ウイングの林哲司中森明菜本人による希望で起用されたという。そして林哲司は「ツッパリソング」と「清純ソング」を止揚したような楽曲を意図的に制作した(これは林哲司本人による述懐である)。
それに引っ張られるかのように、アレンジ面においてもフュージョン方面へぐっと舵を切っている。そして萩田氏が編曲に1曲しか参加していないのも特徴。
デビュー2年目ということで、さすがにスタッフもナンチャッテではない、新たな段階へ進ませる必要性を感じたのだろうか?
その証拠にジャケットの下に小さく表記されている英文があって、その大意は「新しい明菜の最初の一歩を祝うアルバム」らしい。確かにそうなのだが、じゃあエトランゼとはいったい何だったのか…。

歌詞においても、それまでの歌謡曲のセオリーとしてずっと横たわっていた「男の付属物としての女」から、より実存的な女像へとシフトさせ、大人のシンガーへ駒を進めている。これは一部楽曲を除いて殆どが女性作家による詞作であることも大きいのだろう。

「アライサム」
(作詞:三浦徳子/作曲:玉置浩二/編曲:瀬尾一三)
玉置浩二作曲のラテンフレーバー溢れるリゾートソング。前年にリリースした禁区のB面「雨のレクイエム」も玉置氏の作曲なので、もしかするとその時にセットでもらった曲かも?

「まぶしい二人で」
(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお/編曲:若草恵)
来生姉弟によるバラード。いったいさよならねとは何だったのか…と思いたくなるいい曲。

「Easy」
(作詞・作曲:尾崎亜美/編曲:瀬尾一三)
尾崎亜美によるシャッフル歌謡。松田聖子に提供する前に実は明菜に書いている。ツッパリ歌謡の路線でありながら、本当は臆病で弱いというテーゼは飾りじゃ〜で実を結ぶこととなる。

「夢を見させて…」
(作詞:中森明菜/作曲:J.Smith/編曲:若草恵)
中森明菜作詞のバラード。詞先で曲は後から付けたと思われる、歌詞というよりはポエムというか独白文のような…。既に聖子と肩を並べるアイドルとなっているのに自信が持てないままだという、あまりに卑屈すぎる内容。

「北ウイング」
(作詞:康珍化/作曲・編曲:林哲司)
そんな前曲の鬱っぷりを晴らす役割を果たしている。説明不要の名曲。

「100℃バカンス」
(作詞:売野雅勇/作曲:細野晴臣/編曲:瀬尾一三)
細野晴臣作曲。これはもしかするとリベンジかも知れないぞ。あの不穏な禁区と違って今度は成功してるし、明るくてバカっぽい歌詞はこの時期にしか歌えない貴重なクラシック・テクノ。

「夏はざま」
(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお/編曲:瀬尾一三)
来生姉弟のバラード。こちらは打って変わって悲恋である。やっぱりエトランゼではムリして特性に合わない曲作ったんだな。

「メランコリー・フェスタ」
(作詞:来生えつこ/作曲:佐瀬寿一/編曲:萩田光雄)
サンバ風のラテンフレーバーソング。これはミ・アモーレの原形だろう。シングル級のいい曲なのに知名度低すぎ。

バレリーナ
(作詞・作曲:尾崎亜美/編曲:若草恵)
尾崎亜美によるバラード。Aメロがフェイドインから始まりバンドが入るのはサビのみ。歌がしっかりしてないと無理な構成。それにしてもツッパリ歌謡とバラードなんてエトランゼを思わせる組み合わせだな。

「シャット・アウト」
(作詞:有川正沙子/作曲:国安わたる/編曲:若草恵)
次作「POSSIBILITY」の路線を思わせるブラックテイストな曲。このツッパリながらも心を閉ざすかのような方向に行くのが中森明菜の実存。

というわけで、いきなり名曲・良曲ばかりで占められたアルバムとなったのだが、手放しで素晴らしいと言えるわけでもない。
別にコンセプトアルバムというわけでもなくフツーに詰め合わせであることは前作までの路線と変わりないし、続けて聴いてると北ウイングがなんだか浮いてるように感じる。
これは次のPOSSIBILITYに入った「サザン・ウインド」と入れ替えた方が合ってるんじゃないかな。逆にあっちは北ウイングの方が合っているような。だって北ウイングの続編ソングがあるし。
つまりはそういうアルバムだということ。次作とシャッフルしてもそこまで変わりなさそうな感じ、という意味ではこのアルバムそのものより、単純に曲がよくなっただけ。
というわけでアルバムそのものの質は次の次、ビタスイまで待たないといけない。

アップデートしますか?


日本人の戦争に対する認識がアップデートされてないんだから仕方ない。
だからいつまで経っても「はだしのゲン」「火垂るの墓」「少年H」みたいなのが持て囃されるわけ。
彼らは終戦時に幼少期だったり思春期だったりして、戦争当事者としてまだ社会に関わってない頃に戦火に苛まれており、その描写はどこかしら天災めいてうつるし、彼らにとってはそうだったのだろう。
もちろんこれらの作品だって戦争のいち側面であるのだが、全てではない。
世の中というのは複雑で不条理なものなのに、それを理解どころか認識しない人が大勢いるからいまの戦争の形について行けず「ああ可哀想、やっぱり戦争よくないよね、世界が平和になりますように」という形の「思考停止」を図るわけだ。
だからISILもシャルリーエブドもシリア難民もみんな問題を見誤る。
見誤った果てにまた「ああ戦争って悲惨。ラブアンドピース」と更なる思考停止のすり替えを重ねるのだ。

だいたいいまのシリア難民問題だって、かつてアメリカがシリア介入しようとした時は「戦争反対!」と多くの反発の声が挙がったのに、今では逆に収拾つかなくなったシリア難民の死体画像に同情が集まる空気。非難のみで介入しなかった国際社会の意思決定の当然の結末。
戦争はいやだ。でも戦争しなきゃもはやどうにも止まらない。さあどうする?

かつての日本だってこのように「行くも地獄行かぬも地獄」の状況に陥ったのを、みんな忘れている。

商業アンソロ本?

きっかけは血界アンソロの発売が続々決まり、ツイッターで話題となって「血界の商業アンソロが無許可で発行。今後版元と問題が起こる可能性」として「その本を買わないよう」「原稿依頼がきても断るように」というツイートが回されツイッター内学級会が始まったこと。
それが増田にも波及したようだ。

そりゃ権利があるのは作家さんですから、出版がなくなったとしても致し方ない措置だ。これを「ケチだ」「誰が支えてやってると思ってんだ」みたいな文句言ってる人は著作権先進国(皮肉)のアメリカにぶち込みたいものですな。

それにしても「商業アンソロ本」は作者や出版社の許可なしに出版されているということが案外認知されていないのに驚き。
てか、許可なんか取る厚顔無恥な出版社も許可を出すアホな権利者もいるわけない。
もちろんかの有名な「ドラクエ4コマ」みたいに公式側の企画や公認で出ているものもちゃんとあるのは知ってるけど(スクエニ系はそういうのが多い。最近は刀剣乱舞の公式アンソロジーも出た)、基本的に無許可タイプのアンソロは執筆者は同人作家、内容は同人誌と同じで恋愛・性描写まで含めた作品にISBNが付いただけの代物であるのは流石に知られてると思ってたよ。
(公式アンソロは自身の出版社で描いてる作家をかき集める。非公式は同人誌の再録から描き下ろしから様々)
それが証拠に正式タイトルも正式ロゴも(c)も使ってないでしょ。モノによってはキャラの名前すら変えてあったりする。作者紹介ではサークル名を併記することも。
ちなみに自分が商業アンソロというものを初めて知ったのはセーラームーンのアンソロ「ムーンファイト!」だったっけ。絵柄が全く違うので原作セーラームーンと勘違いはしなかったけど、こんなもの売っていいんだとびっくりした記憶がある。
その後ブックオフが広まり、大型単行本コーナーを見て商業アンソロというものがこんなに出てるのかと知ることになったっけ。
Amazon覗くと、黒バスの商業アンソロとかバカスカ出てるもんな。しかもいまや開き直ったかのようにカップリング別・テーマ別・そして同人作家別に作品を纏めた同人作家コレクションなるものまで存在する始末。
まあ、公式側は海賊版を作るような真似をしなければいいのであって、そもそもパロディ同人誌は原作の愛好者によるものという前提であって、原作コミックの市場を浸食するというわけでもないから…。
でも著作権侵害ですけどね…。

これ言ったらおしまいだが、商業ボーイズラブの元祖がそもそもジャンプ系商業アンソロなのだ。それが継続しているだけのことである。
1987年にふゅ〜じょんぷろだくとから出版されたキャプテン翼の商業アンソロ「つばさ百貨店」そして1988年に出版された聖闘士星矢の商業アンソロ本「メイドイン星矢」が始まりなのだ。
同人誌を堂々と雑誌にしてしまったCOMIC BOX Jr.で有名なふゅーじょんぷろだくとと、いまは亡きビブロス青磁ビブロスだった頃に出したこれらのアンソロがキッカケで、同人誌とJuneのような一部雑誌だけの世界だった商業BLというものが本格的に花開くことになったわけ。それを考えると学級会しても詮ないなぁという。

つばさ百貨店 (POEBACKS)

つばさ百貨店 (POEBACKS)

追記:あれだけ騒いでおきながら血界アンソロは売られている。あの騒ぎはいったい何だったのか。ヘタリアの自粛騒動を思い出す。

中森明菜「BEST AKINA メモワール」

オリジナル盤発売日:1983年12月21日

中森明菜の最初のベストアルバム。
本来ならば「NEW AKINA エトランゼ」の次は「ANNIVERSARY」が来るのだけど、このベスト盤には副題に5th ALBUMとあり、ANNIVERSARYには6th ALBUMと副題にもジャケットにもあるのでこちらも同じアルバムとして記事を書くことにした。

やはり今も昔もベストアルバムは強く、こちらは83年の3枚目のアルバムにも関わらず大ヒットし、これまでで最高である70万枚のセールスを記録している。
というのも、83年にリリースした「1/2の神話」「トワイライト」「禁区」のシングルはみなオリジナルアルバムに未収録となりこれまでのシングルも含めて全て収録されたので、そりゃ売れない筈がない。アルバム曲も少しセレクトされているが、シングル候補であったものから選択している模様。
つまりこれさえ聴けば当時の明菜の美味しいところは一通り味わえますよ、という決定盤である。
更に、特典としてカレンダー付き(帯の文字色が赤)とポートレート付き(帯の文字色が緑)の2種でリリースという今でいう複数商法になっている。
翌年に跨がってのロングセラーとなった為に、カレンダーという性質上特典としての意味がなくなっていくのでポートレートに変更になったものと思われる。これはバリエーションでも途中でカレンダーが付かなくなったのと同じである。
まあドーナツ盤ならまだしも、紙モノのおまけくらいで高価なLPを2枚買う猛者は少なかったと思うけれど。
(この特典、2006年の紙ジャケではポートレート、2012年の紙ジャケSACDではカレンダーが復刻されている)
それにしても83年の明菜のブレイクっぷりというかレコードの売れっぷりは凄いものがある。前年リリースのセカンドアルバムは83年も売れ、サードアルバムも売れ、このベストも84年にまたいで売れ、とにかくバンバン出てバンバン買われている。まさに社会現象である。
だが、その売れっぷりの割に作品そのものはそこまで追いついていないというか、ビミョーなものばかりだった。
アルバムはなんだかボンヤリした内容の「ファンタジー」に、全ての方向性がチグハグな「エトランゼ」。
シングルは”じれったい”少女Aの二番煎じで”いいかげんにして”とぶちかます「1/2の神話」に、知名度で来生三部作になり損ねたイージーリスニングのような「トワイライト -夕暮れ便り-」に、細野氏のリズムのせいでヤプーズみたいになった「禁区」と、駄目ではないけどこの先の展開が厳しいぞ、と言いたくなる曲だらけでスタッフは一体何を考えていたのか不思議で仕方ない。
ちなみに、当時「明星」に初期の担当ディレクター/プロデューサーであった島田雄三氏の全曲解説が掲載されていたのだが、これで各曲について新たに分かったことがいくつかある。
「禁区」で新鮮味がほしくてYMOサウンドを取り入れてみたこと(どこがだ!)、
「トワイライト」は明菜さんの可能性を最大限に引き出す為にシングルに決定したこと(どこがだ!)、
「キャンセル!」はデビュー前から存在したシングル候補だったこと、
「あなたのポートレート」をセカンドシングルにするつもりだったこと(別ソースだが少女Aをセカンドシングルにすると決めた際、ひとたびデモを聴くなり明菜さんは「ヤダよこんなの」と拒絶。それでもこの曲に賭けた彼と大喧嘩の末決定したこと)、
「少しだけスキャンダル」は明菜さんのニューな部分が出せたと思っていること(どこがだ!あと”ニュー“って恥ずかしいぞ)、
そしてそして、山口百恵を特に意識してないこと(ウソをつくなウソを。デビュー時の曲発注コンセプトは山口百恵だったろうが)、
うーむ、当時のスタッフ側の采配というのがどんなものであったのか伺い知れるというもの。
「スローモーション」をデビューシングルに選び「少女A」をセカンドシングルに選んだ勘だけは評価するが。
この次のシングル「北ウイング」とアルバム「ANNIVERSARY」で、決定的に作品の質というか段落が変わることを考えたら、結果的に歌謡アイドル期をここでちょうどよく総括できて良かったのではないか。

ちなみに、トワイライトはシングルとは異なったミックスで収録されている。ボーカルも一部違うテイクが採用されているという。ミックスはストリングスの広がりがあるこちらの方が好み。

中森明菜「NEW AKINA エトランゼ」

オリジナル盤発売日:1983年8月10日

ファーストアルバムより続いた三部作(になってないけど)を経て、新しい明菜とやらを目指して制作されたらしい四枚目のアルバム。それを意識してか、初めてのシングルなしのアルバムとなっている。シングルがないせいか売り上げは46万枚ほどだけどそれでも充分すぎるでしょう。この内容なら。

タイトルにフランス語が使われ、更にジャケット写真やイメージビデオまでパリでのロケが敢行された上にレコーディングまでパリ。
ここまでやればアルバムの内容だってフレンチポップスか何かだろうと思いきや、全く違う。むしろドメスティックな方向性というか、前作までの寄せ集め歌謡曲といったい何が違うのか分からない。
作家陣を新たにしたというものの、来生姉弟や売野氏は続投だし編曲は萩田氏のまんまだし、ちょっと中途半端。
その作家陣も山口百恵松田聖子を担当した人たちに乗っかりました、という安易さを感じてしまう。
それでも、テンション低くてボンヤリしてた前作よりは、まだ曲にメリハリがあるだけマシかなぁ…くらいしか感じなかった。
このアルバムが具体的に何がどう駄目なのかは、まこりんさんのサイトで徹底的にやってくれてますので割愛。

「さよならね」
(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお)
来生姉弟によるロッカバラード。いつもの直球バラードにはさせなかったところにNEW AKINAを感じろというつもりだったのかは知らない。明菜さんがシングル候補に推してた曲だそうだが、元々ツッパリソングには反対だった彼女にとって許せる範囲がこのあたりだったのか?

「ヴィーナス誕生」
(作詞:阿木燿子/作曲:財津和夫/編曲:萩田光雄)
阿木燿子作詞・財津和夫作曲によるストリングス・バラード。大変幻想的な曲ではあるのだが…阿木さんの作詞がなんだか70年代テンプレめいてるに明菜さんの歌唱もちょっと覚束なさが見え隠れしてて、結果ボンヤリした曲になってしまったような。今の歌唱力で改めて聴いてみたい。

「少しだけスキャンダル」
(作詞・作曲:翔/編曲:横浜銀蝿萩田光雄)
横浜銀蝿によるツッパリソング…というよりセクシーソングなのだが…何故このアルバムに入れる?編曲も萩田と共同(バンドパート担当)で迫力あるのだが…何故このアルバムに…。ただ、明菜さんの歌唱(囁き→パワフルによるダイナミズム)がここでハッキリ形になってるので、声だけ楽しみましょう系のもったいない一曲。

「感傷紀行」
(作詞・作曲:谷村新司/編曲:萩田光雄)
これ…谷村新司提供曲だけど完全に「いい日旅立ち」の二番煎じでは…。だからなんでおフランスめいたアルバムにずぶな歌謡曲を入れるの…。しかも歌詞が国内旅行をテーマにしているのだが、アルバムタイトル「エトランゼ(異邦人)」ですよ?空気読めよ。悪い曲ではないから、若手演歌歌手にカバーして欲しい。

ルネサンス -優しさで変えて-」
(作詞:売野雅勇/作曲:細野晴臣/編曲:萩田光雄)
売野氏作詞・細野晴臣作曲による打ち込み歌謡曲だけど、禁区と同じく生演奏とチグハグな組み合わせになっている。これに打ち込み使う必要あるのか…。使うなら「瑠璃色の夜へ」みたいに打ち込みのみにすべきだった。
まこりんさんのサイトでは誤記があったがこちらの編曲は萩田氏単独である。それにしても歌詞がほんとに恋の奴隷。なのに「なかったことにするわ」で結びって、ほんとはぐらかそうとして着地に失敗した感丸出し。ルネサンスって再生という意味なのだがタイトルあまり関係ないんだろうな。

「モナムール(グラスに半分の憂鬱)」
(作詞:売野雅勇/作曲・編曲:細野晴臣)
同じ布陣でこちらは編曲も細野氏単独。唯一のフレンチポップスかつ佳曲。コシミハルというか後の高岡早紀というか。歌詞にパリを出していてタイトルに忠実で、細野氏の打ち込みも禁区と違って成功している。ただ、まだ未完成の囁き歌唱だけが惜しい一曲。声を弱めた結果ただの掠れ声になっているような…。高岡早紀ならハマったんだろうな。明菜さんなら5年後の声で聴くと悶絶必至だろうにもったいない。

「ストライプ」
(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお/編曲:萩田光雄)
来生姉弟による爽やかな夏ソング。これにストリングスとホーンセクションを加えて派手にすれば王道アイドルソング一丁あがりなのだが、そんな曲がこの時からハマらないのが中森明菜という存在。どうしても空の向こうに雨雲が見えてしまう。来生曲ということでバラードアレンジしてリメイクしたものを聴いてみたい。

「わくらば色の風(ラブ・ソング)」
(作詞・作曲:TAKU/編曲:横浜銀蝿萩田光雄)
また横浜銀蝿の曲だけど、こちらは打って変わってやたら甘ったるいゴスペル風バラード。あんないかつい兄ちゃんがこんなリリカルな曲作れるのか…。暴走族のマスコットガールって、こんなのを夢想しているのだろうな。それにしてはやけに清純すぎませんか?曲はこの中では比較的まっとうで、今でも歌えそうな感じはする。歌詞は少々痛いけど。
だって風にラブ・ソングとルビ打つとかどういうセンスだよ。

「時にはアンニュイ」
(作詞:阿木耀子/作曲:財津和夫/編曲:萩田光雄)
また阿木・財津コンビの曲だが、ネームバリュー以上の必然性を感じない、前作までのぬるめのツッパリソングと似たような仕上がり。ディレクションの失敗ではないか。ただ歌詞は後の「DESIRE」の原型となるような内容となっている。

「覚悟の秋」
(作詞・作曲:谷村新司/編曲:萩田光雄)
また谷村新司による曲だが、こちらは「秋桜」を意識したのかも知れない、いや確実にしてる母親へのオマージュソング。でも結婚ソングではなく、母親との死別を思わせる内容となっている。だから覚悟なのか。まだ嫁入りをネタに使えないからってこれだと更に重々しくなってしまったのでは…。でもこれも悪くはないから誰か若手演歌歌手が(ry

そもそもジャケットからして内容のイミフさを予感させる。顔が殆ど影に隠れた不気味なポートレートは後の「不思議」と区別がつかない。秋口リリースということでアンニュイなパリの雰囲気を出そうとしたのだろうが、そこで谷村新司の歌謡曲を入れてしまう選択ミス。
なんでこんな作品になったのか今となってはリスナーには分からないけども、松田聖子に肩を並べる歌手になったことで気合いが空回りしてしまったのだろうか?
シングルなしという気合いだけは感じるがそれだけ。クレジットを見たらメチャクチャ豪華作家陣なのに、いざ聴いたらここまで内容の覚束ないアルバムにできるというのもある意味才能かも…?

中森明菜「ファンタジー〈幻想曲〉」

オリジナル盤発売日:1983年3月23日

中森明菜のサードアルバム。サードシングルの「セカンド・ラブ」(←ややこしい)を収録したこれまた大ヒットアルバムで、61万枚を売り上げている。
ただ、はっきり言ってこのアルバムの内容はよろしくない。61万売っていいレベルじゃねーぞ
内容は前作と変わらないのだが、なんだかファーストやセカンドから漏れた余りの曲を更に寄せ集めたような印象を抱いてしまう。
まずファーストの「あなたのポートレート」やセカンドの「キャンセル!」みたいな、シングルとして売っても成功しただろうなと思えるキャッチの強い曲がないし、ファンタジーというタイトルの割にファンタジーなイメージの曲もあまりない。
というかこのアルバムだけではなく、83年のリリース作品がどれも「どうよ?」なものの連続で、当時のスタッフのセンスが疑わしいものだが…83年末にリリースされた「BEST AKINA メモワール」というベストアルバムのプロデューサーによるコメントを見る限りではそんな自覚があったように思えなかった。
それでも明菜パワーで以てどの作品もヒットしてしまったもんだから、分からなかったのも無理はないけれど。

このアルバム、冒頭の「明菜から……。」がいきなり奮ってる。萩田氏のストリングスをバックに明菜さんが「今楽しいですか」「今悲しいですか」とひたすら語りかけるだけのもの。
昔のアイドルにはよくあるおしゃべりとかメッセージみたいなトラックを明菜向けにしてみたら、この哲学か禅問答のような語りかけになったのだろうか…?

「瑠璃色の夜へ」
(作詞:来生えつこ/作曲:佐瀬寿一
禁区よりも早くテクノの打ち込み音が登場してるので誰だと思ったら萩田氏によるもの。なんだ、わざわざ禁区で細野氏の不穏な打ち込み使わなくても良かったんじゃ。夢の中に溶けていきたいというファンタジックな良曲。

「アバンチュール」
(作詞:岡崎舞子/作曲:森一海)
サンバを使ったリゾートソング。でもこれ「Bon Voyage」の焼き直しっぽく聞こえる。同じサンバでもミ・アモーレとは雲泥の差。サビのボーカルの張りだけ楽しみましょう。

「にぎわいの季節へ」
(作詞:大津あきら/作曲:木森敏之)
コテコテの歌謡バラードというか演歌の領域だろ。若手演歌歌手がカバーしてくれないかな。もったいないから。

「傷だらけのラブ」
(作詞:伊達歩/作曲:芳野藤丸
やけにテンション低めのツッパリソング。歌詞にドラマもなくて、なんか残念。

「目をとじて小旅行」
(作詞:篠塚満由美/作曲:茂村泰彦)
明菜さんには珍しいアコースティックなアップテンポ曲。これも夢をみることを旅行に例えたファンタジックな良曲。

「セカンド・ラブ」
(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお
言うまでもない大名曲。でもこれ浮いてませんか。

「思春期」
(作詞:売野雅勇/作曲:芹澤廣明
少女Aコンビによる「してもいいのよ〜」とぶちかます完全なるセクハラ歌謡。これは内容がそのまますぎて百恵ちゃんのセクハラ歌謡の型落ち版みたいでよろしくない。

「Moreもっと恋して」
(作詞:伊達歩/作曲:米倉良広)
「かわるの かわるわ」というフレーズが印象的だけどそれだけといった感じのアップテンポ歌謡曲

「アイツはジョーク」
(作詞:中里綴/作曲:福島邦子)
〆のツッパリソング。「条件反射」でも分かるけど中里さんはツンデレ娘を表現するのが上手い。

(編曲:萩田光雄

そもそもファンタジーというタイトル付けたのに、何故それを感じるさせる曲がほとんどないのか、中途半端にツッパリソング入れてるのか、などツッコミたいところは色々あるけど、何よりアルバム曲に来生たかおさんの曲を入れてないのが謎。
そう、このアルバムにはシングル以外のバラードがない。演歌はあるけど。
こういうのはベタベタだがセカンド・ラブに乗っかったバラード集にでもしとくのが安全パイだしそれ聴いてみたかったのに、何故やらなかったのか。
気負いがあさっての方向へ飛んだのか、それとも曲のストックがなかったのか、ディレクションミスか、とにかくスタッフの判断がダメすぎて困る。
更に困るのが83年は次作「NEW AKINA エトランゼ」で更におかしな方向に飛んでしまうことなのだった…。

それにしてもアルバム三作連続で、帯にパンチラした女の子のイラストを載せてるのはどうかと思うぞ。
あと、手書き歌詞カードの各曲の結びに「明菜から…」と添えているのだが(本人作詞でもないのに何故?)、これがCD版の歌詞カードでもそのまま活字で印刷されているのが変でたまらない。紙ジャケ盤ですらそうなっている。そのせいで歌詞サイトでも明菜から…って末尾にあるので…あーあ。

ファンタジー<幻想曲>AKINA NAKAMORI THIRD

ファンタジー<幻想曲>AKINA NAKAMORI THIRD