Dangerous Charms

個人の感想です

中森明菜「AKINA BOX 1982-1991」SACD/CD Hybrid

中森明菜デビュー30周年記念として、2006年にリリースされたAKINA BOX(赤箱)から6年ぶりのCDボックスリリースとなった。

といっても2010年末から体調不良でご本人は休業中。30周年の新作リリースがままならない状況の中でのリリースなので、記念とはいえCDをSACDにしただけのアッサリした内容でのリリースとなった。
(…実はひと月前にとんでもない代物をリリースしているのだがそれは次へ)

内容は通常のCDだった赤箱をSACD/CDハイブリッド盤に、箱と冊子の色を青に変えた通称「青箱」。DISC18が特典ディスク「Seventeen」ではなく「BEST Ⅲ」になっている。

当初はたったそれだけの内容で、SACDといっても37000円から45000円に値上がり(バラだと2200円から3200円)しているし、何より赤箱の在庫が当時はアンコールプレスによりまだ存在していたので評判はそんなによくなかったと聞くが、SACDということで歌謡曲コレクターも手を出してこちらもすぐ売り切れ、赤箱とは逆にバラ売りのみ2014年にアンコールプレスされて、2016年くらいまではすぐ完売したベスト3作以外新品でAmazonから購入することが可能だった。一部作品は他ショッピングサイトにまだ在庫がある模様。
今ではこのマスターと同一音源かどうかは未確認だがハイレゾが配信されており、専用の機材を揃えないと再生できないSACDと違ってハイレゾ対応の携帯プレイヤーやCDレシーバー、コンポ等がそれより安価で購入できるし、何より2014年に廉価盤がリリースされてCD層の音源はそちらで聴けるので(ただし音圧が上げられているので完全に同一ではない)完全にコレクター向けとしての需要しかないものと思われる。

なお、こちらは赤箱とは違って通販限定商品と内容が共通のために通販用の品番はボックスの巻き帯に併記されているのみで、中身の品番は同一。バーコードは上からシール貼りされている。
DISC1〜17までは品番と歌詞カードのSACDの説明以外、赤箱と全く同一内容。
唯一「Cross My Palm」のみ、文字色が少し変わっている程度。
DISC18の「BEST Ⅲ」は忌まわしき最初の非公式ベストであり、もうCDしかない時代のアルバムをムリヤリ紙ジャケにしただけでLP向けのリーフレットなど当然なく、縮小マジックもかけられないのでジャケットはカラーコピークオリティのお粗末なもの(非公式ベストの版下なんか残してないだろうしね)。
更に恐ろしいことに歌詞カードの中身までもコピーって………。そこは文字を打ち直すか他の通常歌詞カードに合わせなさいよ。元々写真の一枚もない質素なブックレットなんだから…。こんなクオリティで単品3200円とか出したくないなぁ。
LIARから二人静までのシングルを埋めるためには必要だったんだろうけど、これを入れるならいっそ「もう一人の明菜」も付け足してしまえばよかったのでは?B面の名曲群をリマスターで聴くには、とっくに売り切れたライノマスターかシングルボックスを入手するか配信しかない状況になっているので、非公式B面集「もう一人の明菜」にまだ需要があるという有り様である。
そしてまたしてもミニアルバム「SILENT LOVE」「MY BEST THANKS」「Wonder」はスルーされた。これらのリマスターは2014年まで待たねばならない。

AKINA BOX(紙ジャケット&SACD/CDハイブリッド仕様)

AKINA BOX(紙ジャケット&SACD/CDハイブリッド仕様)

中森明菜「BEST」

オリジナル発売日:1986年4月1日

中森明菜、初のシングルコレクション。ベストアルバムとしては「BEST AKINA メモワール」に続く2枚目。
(Seventeenも内容としてはミニ・ベストと言える)
このアルバムも当初はメモワールと同じ構成、つまり「北ウイング」から「SOLITUDE」までのシングルA面と、アルバムから少しという内容になる予定だったが、結果的にはシングルコレクションとなった。
(正直言ってそっちの構成で聴いてみたかったような…。ANNIVERSARY以降のアルバム曲にいいの多いから)
タイミングとしては「DESIRE」が2月にリリースされた直後だけあって、この時点で最大のヒットかつロングセラーアルバムとなった。

シングルコレクションとはいっても曲順に工夫が凝らしてあり、「SOLITUDE」をヘソにした対照的な割り振りがなされている。
「SOLITUDE」を中心として、前半に清順ソング、後半にツッパリソング、ヘソの両脇に異国情緒ソングで固めるという面白い並びで、「スローモーション」で始まって「少女A」で締めるというのも何やら示唆的な感じ。

このアルバムからLPとCDが同時リリースされるようになったため、CDで聴かれることを考慮した可能性もあるのでは?それならLPとしては物理的にムリがある曲数にも納得がいくから。

「スローモーション」
まだ何色かも分からない歌手のデビュー曲としてはこれ以上ないであろう名曲。恋に恋する女の子といった感じではあるものの、過剰な媚態も少女趣味もない。更に来生たかおの非歌謡曲的メロディーが清新さを底上げする。デビューしたばかりで余計な色を付ける必要はないのだ。山口百恵を明らかに意識していた明菜ではあるが、安易なコピーを目指さずにこの曲を選択したのは慧眼であった。
だがこの曲は歌番組での歌唱の方が遥かに魅力的。念願の歌手になれて嬉しくてたまらないといった感じの伸び伸びとした様子とともに楽しむのが良い。

「セカンド・ラブ」
ブレイクのためのダメ押しとして更に難しい曲に挑戦させたという。元々は大橋純子への提供を想定して書いていた曲を幸運にもゲット。結果的に最大のヒットシングルとなった。二度目の恋なのに、好きな人に好きと言えず、セーターの袖をつまんで俯くしかできない…という、あまりにいじらしいこの曲は、アイドルとしてブレイクするにはスローモーション以上の大正解だし、少女Aの啖呵切りからのセカンド・ラブでのいじらしさ(今でいうツンデレか)という凄まじい落差は野郎どものハートを見事に鷲掴みし、時代の象徴へと成長していくことになる。

「トワイライト」
セカンド・ラブの次を期待されていたと思うのだが、どうにも肩を並べるには力不足が否めない曲。来生曲にしては歌謡曲感が強いし、大げさなイージーリスニング風のアレンジもそれを強めている。ひとり旅をしながらも、やっぱりあなたと一緒にいたいという本音をハガキに書くことができない、という明らかにセカンド・ラブを意識したいじらしさが、リアリティに欠けているというか、あまりに回りくどくなって感情移入を殺いでしまう。
ただ、この曲はどうやらボーカルが加工されてキーを無理矢理上げられたという話があるようで、聴いてて違和感がある。歌番組ではキーを落として披露しているが、そちらの方が魅力的である。
(あとこれはこぼれ話だが、1989年にリリースされたゴールドCD仕様では何故かメモワール版のミックスに差し替えられている。そして2006年にリリースされた紙ジャケットでもメモワール版。2012年にリリースされたSACDでは元に戻っている。このへんの事情についてのアナウンスは一切ないので理由は不明である)

「北ウイング」
これまで清純とツッパリというねじれの位置にある路線をとっかえひっかえしながらリリースしていたシングルでの歌世界が、ここで邂逅した。作曲者の林哲司が意図的にこの二つの路線を止揚させたという。これまでは恋に恋するか、逆ギレするかしかなかった少女の恋愛が、愛のために自ら行動に出るというテーマのこの曲でようやく実存的になっていく。

「サザン・ウインド」
愛を求めて旅立ったかと思いきや、いきなりリゾート地での「リゾラバ」を期待している、少女Aとは別の意味で衝撃的な曲。時代はバブル前夜、女だって男漁りしてもいいじゃない。そんな歌詞を来生えつこが書いてるのもまた驚き。女とはかくも変化するものです。

「SAND BEIGE -砂漠へ-」
アルバム初収録。ミ・アモーレでリオでカーニバルに参加したかと思えば次は砂漠へ。異国を彷徨う姿はANNIVERSARYの頃から提示されてきたが、やはりラテン・中近東あたりがいちばん似合う。
裏打ちメインのリズムと息継ぎのないサビ、これはもはやアイドルの為に書かれた曲ではない。
ちなみに「アナ・アーウィズ・アローホ」というアラビア語が出てくるけどこれだと男性形らしい。正しくは「アーウィザ」。

「SOLITUDE」
唐突に渋い曲。実は「D404ME」に収録予定だったものが明菜さんの意向でシングルA面に選ばれたという。同じタケカワユキヒデ作曲による「ピ・ア・ス」が「D404ME」でヘソの役割を担っているのは偶然か。「ミ・アモーレ」でレコ大確実だし「SAND BEIGE」もヒットしたんだから次は趣味に走らせてよね、という声が聞こえてきそうなこなさそうな。
これを出された当時のファンはびっくりしただろうな。それ以前の明菜とそれ以後の明菜への分水嶺となった曲かも知れない。この次のシングルが「DESIRE」なので、まだ「SAND BEIGE」で微かに残っていたアイドルとしての明菜に完全に別れを告げた曲。
同期アイドルはこれを出された時「もう敵わないな」と思ったとか何とか。
ただ、当時の声でこの曲を表現しきっていかたと言われたらまだかな、と思う。私は89年「EAST LIVE」での歌唱がいちばん好きです。

「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」
シングルバージョンはアルバム初収録。
なんでリオのカーニバルでサンバなのと言われそうだが、実はデビューの早い段階から「Bon Voyage」「アバンチュール」「メランコリー・フェスタ」「地平線(ホライズン)」と、アルバム曲でじっくりと「ミ・アモーレ」に至るまでの前哨戦が行われていたのである。
いくら同じワーナーとはいえ、インストゥルメンタルがメインで歌謡曲作家ではない松岡直也氏に曲を書いてもらうという発想はどこから来たのだろうか。歌モノ作家としての実績は殆どないといっていい人だったのに。結果的に逆転ホームランとなったからよかったけれど…。
これは余計な話だが、「ミ」はスペイン語、「アモーレ」はイタリア語である。スペイン語なら「ミ・アモール」だし、イタリア語なら「ミオ・アモーレ」になるはず。
だが舞台となったブラジルの公用語ポルトガル語。どういうことですかカンさん。
一応副題にポルトガル語が付いているけど「私の愛は…」と少し違う内容になっている。
ま、書いた後からツッコミが入ったものの思いっきりアモ〜レ〜って歌い上げちゃってるのでポルトガル語は副題としてくっつけざるを得なかったんだろうな。でも「ミオ」にしなかったのは勘違いか(あくまでも日本語からみた)語感を優先したのかは分からない。
ヒット曲にはよくあるエピソードである。

「飾りじゃないのよ涙は」
シングルバージョンはアルバム初収録。
やはり売野さん作詞のツッパリソングと比べたら世界観の構築が段違いだなと感じる。
中森明菜は「反」ではなく「非」であるという批評をした方がいるけど、まさにそれを体現したのがこの曲。

十戒(1984)」
タイトルが意味不明。売野さんが当時住んでた住まいが10階だったことからきてるとかいう話をきいたが本当なのだろうか。
これは明菜ツッパリの集大成として最後の花火のように放たれた曲。細野さんでは変なことになっていた歌謡ロックと打ち込みの関係性を、高中さんでリベンジしたと思われる。
シンセによるリズムと、ここぞという時にさりげなく配されたSEやキラキラ音やオケヒットがやり過ぎ感をギリギリに留めている。
もはや少女の顔を覗かせるような真似はやめて、歌詞は優しいけれど自分からアプローチしない男に「イライラするわ」とアジテートする女性となったことで、おそらく次のステップへの橋渡しをしたのだろうな。この次のシングルが「飾りじゃないのよ涙は」である。

「禁区」
メロディは歌謡曲にしてあるのにアレンジが中途半端にテクノで変。細野さんによる淡々としたテクノのリズムと、萩田さんによる歌謡曲のアレンジがねじれの位置にあるので、明菜さんの歌唱もどっちへ寄せればいいのと言わんばかりのもたつき方をしているように聞こえるのだけど。そのせいか、ヒットシングルの割にライブで滅多に歌われない曲となってしまった。
まあ、これの前に松田聖子に書いた「天国のキッス」も聖子さんの歌声とリズムのいかにもな電子音の組み合わせがなんか気持ち悪いので、テクノポップスはまだまだ過渡期だったんだろうなぁ。

「1/2の神話」
「いいかげんにして」とキレながらも「誰も私分かってくれない」と本音を吐露する、少々Aの正統的二番煎じ。まだツンデレという言葉が生まれるはるか以前にツンデレの概念を歌詞にした売野さんの先見性たるや。そしてソロデビュー前の大澤誉志幸を起用するセンス。大澤さんもきっちりと要望に応えて少女Aのインパクトに負けない作曲をしてくれた。そして萩田さんの編曲も前にも増してテンションアゲアゲである。これが歌謡曲というものなのだ。

「少女A」
未成年犯罪者の仮称としてのA、ワンオブゼムという意味のA、そして明菜のA。
何やらスキャンダラスなものを感じさせるタイトルと、自ら男性にグイグイと迫っていく少女。この曲でまるで不良少女のような印象を持たれたことで、後々までこの曲があまり好きではないと言うほど良くも悪くもインパクトを残したブレイク曲ではあるけど、実はそういう内容ではないことは、歌詞を読めばすぐ分かる。
当時の新聞の投書欄に、女子高生によるこのような文章が掲載されたという。

”私は不良でもないし学校ではクラス委員もしていて他人からは優等生と思われてるけど、私だけが知っている本当の自分の歌だと思った。これを不良少女の歌だと考えるのは自由だけど、間違えだと思う。私のような『少女A』が生きていることもわかってほしい(一部抜粋)”

不良でも何でもない「特別じゃないどこにもいる」少女の中に宿る誰にも知られず誰にも言えずにいるもうひとりの自分の歌なのだ。
この歌を聴いた日本中の少女が「少女Aは私だ」と共感したからこそヒットしたわけだし、ファンタジーな佇まいの松田聖子とも女優的な佇まいの山口百恵とも違う、リアリズムを歌うアイドルとなっていったのである。

中森明菜「D404ME」

オリジナル盤リリース:
1985年8月10日(LP)/9月10日(CD)

中森明菜9枚目のアルバム。
前作から4ヶ月ぶりのオリジナルアルバムで、ヒット曲「ミ・アモーレ」の別バージョンをラストに収録している。「飾りじゃないのよ涙は」→「ミ・アモーレ」という無敵のムードに押されたか、65.1万枚というヒットとなった。

実はコンセプト・アルバム仕立てとなっていて、タイトルの意味はニューヨークの倉庫番号とか何とか。そのコンセプトを説明した全文はこちらで読める。

…これを読んでそれぞれの曲を振り返ってみても、果たしてそういうコンセプトで作られた曲なのか、判断しかねる。
20歳となった少女がママサンドラに再会しに行って、今まで重ねた恋を語るのか、それともこれから経験するのか。そのようなストーリーはそれぞれの曲から伺い知ることはできない。
それに「BITTER AND SWEET」からわずか4ヶ月のリリース、制作は同時進行か時期が重なっていたはずなので、こちらはストックされていたり選考の末に残ったものを拾いあげたアルバムというのが実情ではなかろうか。
実際に「BLUE OCEAN」「STAR PILOT」はシングル候補であった曲として知られているし、他に「モナリザ」や「アレグロ・ビバーチェ」も、いかにもシングル向けのキャッチの強い曲である。
唯一の小品バラード「ピ・ア・ス」を真ん中に4曲ずつでサンドし、始まりと終わりにSEを施すという構成になっていて、そこはコンセプチュアル。ミ・アモーレは客引きの為のオマケである。

ジャケットも、アイドルの領域に収まらないデザイン性のあるものへと変貌。コウモリのモチーフが全面的に配されており、LPでは真っ黒な歌詞リーフレットに、CDではジャケットの黒い部分をよく見るとコウモリのモチーフが印刷されている。未だにドアップだらけのアイドルらしからぬ引きの構図も特徴的。
着ている衣装も明菜さんのアイデアが盛り込まれているというので、ビタスイから始まったアーティスト化がまたひとつ進行しているのが伺える。

「ENDLESS」
(作詞/作曲:大貫妙子 編曲:井上鑑
大貫妙子にしてはハードなオープニング曲は、まるで明菜さん本人の生き方を俯瞰したかのような歌詞。ここで歌われる「あなた」とは、ラブソングとも取れるしレコードを聴いているファンとも取れる仕掛けになっていて、まさに職人芸。

ノクターン
(作詞/作曲:飛鳥涼 編曲:AKAGUY)
ASKA提供の、バラードだった予感から一転してハードな曲。サビ部分に唐突に声を張り上げる暴れ馬のようなボーカルがこのスリリングな曲には合っている。アレンジがSmooth Criminalなのはご愛嬌。

アレグロ・ビバーチェ」
(作詞:三浦徳子 作曲/編曲:後藤次利
タイトルに反して悲しげな歌詞。それを意識してか歌唱も比較的弱めにしていて、更にシングルA面よりも素に近い声で歌っている。

「悲しい浪漫西」
(作詞:許瑛子 作曲:都市見隆 編曲:中村哲
SAND BEIGEコンビの曲だが、さすがにそれと比べるとアルバムの曲という感じは否めない。

「ピ・ア・ス」
(作詞:岡田冨美子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:中村哲
センターに置かれた小品バラード。シンプルで歌謡曲的でないメロディは歌唱力が試される。

「BLUE OCEAN」
(作詞:湯川れい子 作曲:NOBODY 編曲:久石譲
ファンの間ではシングル候補だったことで有名。中森明菜としてはかなり異色なはじけたタイプの曲。久石譲による現代音楽経由の凝った打ち込みアレンジもまた異色。

「マグネティック・ラヴ」
(作詞:epo 作曲:大貫妙子 編曲:清水信之
キャッチーさよりもグルーヴ感を優先したかのような難曲。ミ・アモーレが間奏でサンプリングされている。

「STAR PILOT」
(作詞:ちあき哲也 作曲:忌野清志郎小林和生 編曲:後藤次利
これもシングル候補だったことで有名。作詞も忌野氏だったものの、男性目線で直球エロだったためにそれでは歌えないということで、別の作詞家が女性目線で少しソフトなものへと修正した。RCによるセルフカバーが後にリリースされている。

モナリザ
(作詞:竹花いち子 作曲/編曲:後藤次利
これはシングルとしてリリースしてもヒットしたのでは。アレンジがTake on meなのはご愛嬌だが、歌詞・メロディー・アレンジそして歌唱が塊で押し寄せてくる圧巻の隠れ名曲。
終了後に冒頭のSEが流れて、このアルバムはここで終わったということを知らせている。

「《including special version》ミ・アモーレ」
これはLPでは10曲目という扱いになっていない、あくまでおまけとしてのトラック。オリジナルのアレンジは松岡氏が納得いってなかったようで、こちらは思いっきりサンバのアレンジになっている。

このアルバムで特徴的なのが、SEや打ち込みやサンプリングなどを駆使したアレンジ、そしてシングル曲の歌唱に慣れていると違和感を感じる人もいるかも知れない、肩の力が抜けたような奔放な歌い方をしている曲が散見されることである。
シングルでは丁寧にテイクを重ねて選定したような、みんなの想像する「明菜」の歌い方をしているが、こちらでは声を出したかと思えば思い切りひっこめてみたり、
艶やかな声になったかと思えば蓮っ葉な声になったり、かと思えば弾けるように歌ったりと、シングルのイメージで聴くと少し驚くようなボーカルになっていて、ここでしか披露していない歌唱が多い。
他の曲でびっくりしても、最後の「モナリザ」はシングルの歌い方が好きな人なら納得できるような歌唱になっているのはわざとかもしれない。
まだDESIREでの「明菜ビブラート」が形になる少し前、彼女はここでさりげなく自身のボーカル表現を試行錯誤していたのである。

D404ME

D404ME

  • アーティスト:中森明菜
  • 発売日: 2014/01/29
  • メディア: CD

上昇婚?


結局この記事は「上昇婚」の定義をスライドさせて狭めることによって上昇婚に当てはまる女性が少ないように見せかけているだけ。

他者な経済力で社会階層を上昇を目論むような野心を持った高望みではなくても「本来自分自身では達成できない収入を夫に求める(たとえそれが出産育児による収入低下を加味したり、親世代と同等の家庭を作ることを目的とした判断であっても)」時点でそれは上昇婚と呼ぶべきでは?
女性の望む結婚の傾向は学歴や収入に比例して生存→依存→保存と変化していくと小倉千加子は「結婚の条件」で説いた。つまりこれは、女性全般が男性側に「自分以上」の稼ぎを望んでいるということに他ならない。

上昇婚が批判されるのは「稼げる男性に寄生して社会階層を駆け上がり富裕層になろうとする強欲なフリーライダー」という意味においてではなく「夫が主な稼得者という固定観念が維持される以上、男女の地位や収入が対等になることはないので、上昇婚を容認しつつ男女不平等を訴えるのは矛盾」という意味においてである。

上昇婚を批判する側は「女性が男性に自分以上の収入を求めている限り、男性には女性よりも労働に邁進するインセンティブが生じ、結婚後の女性は自分が退職して家事・育児に集中する方が合理的になるために、男女平等な世界は永遠に訪れない」ということを問題にしている。
ところが反論側は、かつて上昇婚を「自分の父親以上の相手を求めて社会階層を上昇しようとすること」と定義した学者がいたのを金科玉条として持ち出して「女性たちは実際には社会階層を移るほど格上の相手とは結婚していない。よって女性に上昇婚志向はない」と逃げている。言葉の定義を弄くって論敵が本当に問題にしている論点をそらしているだけである。
言葉の定義を弄って逃げたところで「女性が自分より高い収入の男性と結婚する志向を持っているために男女平等社会は訪れない」というファクトは何も解決しない。

あとは長文を費やし「出産や家庭の運営のために男性に500万円の収入を求めるのは現実的に妥当な要求である」という言い訳を延々しているだけ。そうではなくて、妻が500万稼いで、専業主夫と結婚しても良いのでは?というのが上昇婚批判の根本なのだが。
「医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらない」という日本女性の上昇婚志向の根拠に関しては何と「上昇婚を諌める雑誌記事や対談記事」を引っ張って、あたかもすでに上昇婚志向がなくなったかのように反論したつもりになっている。

しかしこういうのを見るたびに本当に感心するのは、これだけの長文でこれだけの資料を引っ張る情熱と、その割に論点がことごとくズレていて何の議論にもなっていない思考力とが同じ人間に同居できることである。

中森明菜「BITTER AND SWEET」

オリジナル盤発売日:1985年4月3日

中森明菜8thアルバム。
先行シングルとして「飾りじゃないのよ涙は」のアルバムミックスを含む全10曲。55.6万枚を売り上げた。

与えられた曲の中でどうにか自我を発揮していたプロローグ〜エトランゼ、自分にふさわしい歌を意識しだしたアニバーサリーとポシビリティ、その中でフュージョン(70年代半ばに成立したユダヤ人経由の、様々なジャンルの融合音楽)というひとつのヒントを得て、その次の手としてぐっとそこへ踏み込んで制作したのが今作だろう。
(デビュー前から高中正義ファンでもあり、「十戒」「秋はパステルタッチ」は彼の提供曲である)
今まで出してきたシングル候補とその他の寄せ集めアルバムと違い、外部から角松敏生をスーパーバイザーに迎えるという異例の人選で、ひとつの統一したアルバムをようやく作り出すことができた。
LPではA面がビターサイド、B面がスウィートサイドと呼ばれていて、それぞれに合わせた曲を割り振っている。タイトル文字が表と裏に分かれていることからもそれが読み取れる。
CDだと連続してしまうので後半が眠たいアルバムのような印象を持つ人がいるかも知れないが、レコード時代ならではの構成のアルバムであることを念頭に置いてもらいたい。

これまでオリジナルアルバムは何度か再発売されているが、既に配信もされた上の5回目の再発売にもかかわらず2014年にリリースされた廉価盤の中で今作が唯一ランクインしたほど根強い人気作なだけあって、前作からまたひとつ階段を昇ったことがありありと分かる曲が次々にやってくる。いいアルバムは余計なこと言わず黙って聴けでおしまい、はい一丁あがりにしたいけど、そうもできないので以下レビュー。

まずはビターサイド。
「飾りじゃないのよ涙は」
(作詞・作曲:井上陽水/編曲:萩田光雄)
説明不要の井上陽水提供曲のヒットシングルで、明菜のアーティスト化のメルクマールとなった。シングルと違ってだいぶバスドラがバカスカ響くダンスミックスになっており、サビにかけられていたボーカルエフェクトが外されていて、オリジナルの歌唱を楽しめる。でもラストでカット&ループするので評価が分かれるかも。
この前のシングルが「十戒」だったことは改めて信じがたい。

「ロマンティックな夜だわ」
(作詞・作曲:EPO/編曲:清水信之)
明菜さんがファンだというEPO提供曲。ホーンセクションに負けないパワフルな歌唱がよい。
ちなみにこの曲、2006年の紙ジャケ盤では何だか音が右にパンしすぎているような気がするのだが大丈夫なのか。

「予感」
(作詞・作曲:飛鳥涼/編曲:椎名和夫)
チャゲアスASKA提供曲。個人的には95年のセルフカバーの方がぐっと上手くなってて好きだけど、こちらの若い声でも充分説得力あるバラード。

「月夜のヴィーナス」
(作詞:松井五郎/作曲・編曲:松岡直也)
ミ・アモーレでおなじみ松岡直也提供曲。こちらはシンセを前面にしたダンスポップス。

「BABYLON」
(作詞:SANDII/作曲:久保田麻琴/編曲:井上鑑)
サンディー&ザ・サンセットのSANDIIと久保田真琴による提供曲。ニューロマを意識した洋楽的な構成の曲を明菜さんが今までにないほど伸び伸びと歌う。これを聴いていると、エトランゼの収録曲たちが霧の彼方へと消えていくのを感じる。ちなみに赤い鳥逃げたのB面にリミックスが収録されているが、ラップともコーラスとも言えない男性ボーカルが入っていて個人的にはあまり好きではなかった。

そしてスウィート・サイド。
「UNSTEADY LOVE」
(作詞・作曲・編曲:角松敏生)
角松敏生提供曲。20になったばかりのまだ若さを残す声だからこそ成立するポジティブな別れ歌。88年以降のボーカルだとこの軽やかさは出せないだろう。

「DREAMING」
(作詞:斉藤ノブ/作曲:与詞古/編曲:AKAGUY)
今では夏木マリのお相手としても有名な斉藤ノブ作詞、AKAGUYのボーカル与詞古作曲の名前通りのドリーミーなボサノバ風ミディアムソング。まだ20になったばかりの明菜さんの声でこんな甘ったるい歌い方されたら萌えずにはいられない。最後のフゥ!という小さなフェイクが最高。

「恋人のいる時間」
(作詞:SHOW/作曲:神保彰/編曲:井上鑑)
カシオペア神保彰提供曲。ここまでくると男性ボーカルの方が栄えそうな哀愁も漂ってくる曲までこなしていく。こういう世界観は松田聖子では表現できない。

「SO LONG」
(作詞・作曲:角松敏生/編曲:角松敏生瀬尾一三)
角松氏によるバラード。こちらもまたどこかポジティブさを感じる別れ歌である。この頃の柔らかい声もいいけど、今の声でも是非聴いてみたい。

「APRIL STARS」
(作詞・作曲:吉田美奈子/編曲:椎名和夫)
吉田美奈子提供曲。最後にまったりと締め。まるで子守歌にも思える柔らかな歌声でゆっくりと幕を閉じる。

人によってはこのアルバムを背伸びしすぎだと感じることもあるようだ。確かに、後のボーカルと比べたらまだこの頃は若々しくて、いきなりクールな曲を歌い出した違和感はあるのかも知れない。
だが、この若々しいボーカルだからこそ軽やかで深刻すぎないバラードが成立しているのである。
例えば90年代以降のボーカルでUNSTEADY LOVEを歌ったとしたら、上手さはそちらだろうが空気はまるで違うものになるだろうから。
ちなみにジャケットの写真は篠山紀信撮影である。山口百恵に追いつき、追い越そうとしている境目の時期に彼を選択したのはあえてではないだろうか。特に裏ジャケットの表情は歌以上に百恵的。
このアルバムで「山口百恵フォロワー」の文脈で語れる範囲であった彼女の歌の世界観は大きく変化・飛躍を遂げていくことになる。

松浦亜弥「ファーストKISS」

ファーストKISS

ファーストKISS

アイドル最終兵器だのアイドルサイボーグだの松田聖子の再来だの言われて、アイドルとしての姿勢の徹底ぶりに驚きを以て受け入れられていた松浦亜弥
当時を知らない人に説明すると、芦田愛菜のソツの無さに対する反応に近いと言えばいいのかな?
でもこれって、誉めてないよね。お芝居してるあざとい人間だと言ったも同然だろう。

つまり、松浦亜弥ってアイドルじゃないのだ。アイドルという言葉に大衆が感じているアトモスフィアを体現してみせた、優秀なモノマネ芸人さんである。存在としては今でいうアイドル声優みたいなものだ。
だからこそ必要以上に作ってる感を醸し出していたし、楽曲もPVも無駄にハイテンションでアレンジもギュウギュウに詰め込んでいたのたろう。

そもそもアップフロントの売り出すタレントのこと、王道を行くアイドルなんて作り出せるわけがない。だってここの系列で成功したアイドルってモー娘。以前はWink森高千里だもの。両者はアイドルが死に体となっていった時代、王道アイドルに対するアンチテーゼというかポストモダンというか、横道にそれた魅力を持っていたのがブレイクの理由である。
彼女の曲を作るつんくだって元はシャ乱Qというパロディとハッタリでいてこました、王道をいくバンドと比べたらなんだかウソっぽくて安っぽくて、でもそこに面白さがあったバンドのボーカルである。(が、そこに飽きたらそれまで、という欠点もあって、熱が冷めたらブックオフに大量放棄、という側面も)

売り出しからして、ブレイクしたモー娘。のバーターだったしね。言うまでもなくモー娘。はオーディション落選組をかき集めて歌わせたこれまた王道から脱線したアイドルグループ。
そんなモー娘。が大ブレイクして、アイドルの頂点に立った頃にデビューしたのが松浦亜弥(しかもちょうど、モー娘。のベスト盤がメガヒットしてた時)なのだから、アップフロントつんくは天下取ったど!今こそ王道アイドルだ!と判断したのかも知れない。路線変更後のタンポポもそんな感じだろう。

でもアップフロントつんくという組み合わせでは、何をやってもパロディめいてしまう。たい焼きは鯛にはなれないのだ。もちろんアイドルが好きなことも、気合いを入れてるのも充分に感じる。
感じるんだけど、それを再現しようとして、パロディめいた別物をこしらえてしまったという印象である。
その後、結局はモー娘。と同じB級アイドルソング路線に走ったり、本格派を勘違いした歌謡曲に走ったりして失速したのはご存知の通り。モー娘。は「私たちは鯛じゃなくてたい焼きだけど、こっちだっておいしいじゃないか!」と堂々とした態度でいたのがよかったのだが、
松浦亜弥は「たい焼きのはずが鯛を売ろうとしてきた」と言うべきか。(その最もたるものが「草原の人」だろう)
そんなアップフロントを尻目にソニー松田聖子渡辺美里で培った方法論を存分に発揮して、中島美嘉YUIといったゼロ年代向けアイドルを見事にブレイクさせたのだから皮肉なものである(それが未だに西野カナやmiwaへと継承されているのもソニーの凄さである)。

そして今更になって、リリース当時から名盤名盤と好評だったファーストアルバムをようやく聴いたのだが…。
…うーん、うるさすぎない?
全曲気合いが入っているのはすごく分かる。でも、そのせいか曲と曲がケンカをしていて、作品というよりほんとに曲を寄せただけという感じである。
中森明菜でいうと「Stock」をいきなり聴かされたような感じとでも言えばいいのか?オザケン「LIFE」の異様なテンションと多幸感も連想してしまう。
そして、かつてのアイドルソングにはあった情緒の要素が欠落している。主に歌詞面で。秋元康の歌詞が「野郎の妄想と感想文」なら、つんくの作詞は「おじさんが一生懸命頭をひねって考えだした10代女子の近くて遠いリアリティ」である。ま、いざ情緒を表現したら演歌になっちゃうんだけどねこの人。
これを松浦亜弥はしっかりと、時にはしっとりと注文通りに歌い倒しているのだからこれぞまさしくアイドルサイボーグのサウンドトラックとしか言いようがない。

あと、時代的な流行だったんだろうけどR&Bっぽいアレンジをしている曲がちらほらあるのは残念。スクラッチ入れてたりとか。「S君」なんてモロにジャネット・ジャクソンで、これつんくの悪いクセなんだよな。こういうことするからハッタリ感が強調されてしまう。
なんちゃってR&B曲となんちゃってセクシー路線、なっちソロでもゴマキソロでも同じことして失敗したでしょ。
ただ、こういう濃密なアルバムにしたのは分からなくもない。松浦さんの歌声って、上手なんだけど滑らかに流れていってしまう、掴みどころの弱い声質なので、ポップスとしての爆発力に欠けているのである。森高千里みたいにもう少しキンキンした声だったらよかったんだろうけど。
つんくはそこの弱点を補ったんだろうが、それがドンドン強調されていって巻き舌だらけになってしまう「×3」とか明らかにやりすぎだとしか思えなかった。あれはもったいない作品である。

しかし、ここまで徹底的につんくと共犯関係を築いておきながら、後になってこの頃の辛さをボヤいたり、ファンを突き放すような言動をしたり、挙げ句の果てには結婚した時のあの旦那のことしか考えずにやってきたかのようなコメント…あれはいくらなんでもないでしょ。そんなんじゃつんくから離れた途端加速度的に作品の方向性が迷走するのも当然だろう。

ちなみにセカンドアルバムと「ね〜え?」はティセラのCMにやられて買いましたともよ。ま、それっきりだったけど…。

中森明菜「POSSIBILITY」

オリジナル盤発売日:1984年10月10日

中森明菜7枚目のアルバム。
シングル「サザン・ウインド」「十戒(1984)」を収録し、更に北ウイングの続編「ドラマティック・エアポート」、タイアップがついて北ウイングの両A面としてシングルカットされた「リ・フ・レ・イ・ン」が収録された、営業部的にもおいしい目玉だらけのアルバム。白い迷い(ラビリンス)も、翌月に来生たかおのセルフカバーが発売され競作となった。
その結果、一見さんが手に取りやすい作品となったためか前作よりヒットし、62.4万枚をセールス。これはカセットテープの売り上げが大きく向上した為である。

確かにこのアルバム、当時の中森明菜の売りを最も並べることができていると思う。シングルが2曲入っているというのも80年代の他作品では見られない構成。次にシングルA面が2曲入るアルバムは97年の「SHAKER」であるので、明菜さんのアルバム主義の強さが伺える。
更にはアルバム曲も可愛らしさ、ツッパリ、クール、異国情緒、バラードと彼女の手札がきっちり並べてある。収録曲の作家は殆どがシングルA面に採用されたことのある人ばかりで固められており、少女歌謡から駒を進めつつ、ライトユーザ向けにも舵を切った入り口としては秀逸なアルバムだと思うので、今の初心者が聴くのにも最適なアルバムだろう。

ジャケット写真も、秋ということでシックさを意識してかブラウンを基調とした中に、肩をはだけた何やらセクシーなニットワンピの明菜さん。
更に赤いハイヒールを履いているのが裏ジャケで確認できるので、これはビジュアル面からの大人モードに移行しましたというメッセージかも知れない。

「サザン・ウインド」
(作詞:来生えつこ/作曲:玉置浩二/編曲:瀬尾一三)
玉置浩二作曲のリゾートソングだが、やっぱり浮いてるのを自覚してか冒頭に置かれた。作詞はなんと来生えつこ。少し後のバブル絶頂期に流行した「リゾラバ」をテーマとしている。こんなバカンスついでの危険な遊びに興味を抱く歌詞が書けるとは思わなかった。

「秋はパステルタッチ」
(作詞:来生えつこ/作曲:高中正義/編曲:高中正義瀬尾一三)
ギャル時代のマドンナっぽい、アイドル向けのエレポップ。いまならTommy february6と言った方が分かりやすいか。高中正義による数台のシンセで構築したクラシック・エレクトロはDTM時代の今、逆に新鮮に響く。北ウイングの「霧の街」と違ってこちらの彼は「南の島」にいるもよう。でもまだ多幸感があって救いのある内容。

「October Storm─十月の風─」
(作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:萩田光雄)
何やらあることないこと吹き込まれた彼氏の元へ車を飛ばすという疾走感のあるラブソング。ツッパリ歌謡の発展型とも言える。北ウイングコンビによる曲なので、これもシングル候補だったのだろうか。

「リ・フ・レ・イ・ン」
(作詞:松井五郎/作曲:松田良/編曲:萩田光雄)
サビを最後まで引っ張る構成で工夫された歌謡バラード。松田良氏も結果的に明菜のシングル経験者となった。まだ業を背負った感じが薄いからこそ成立しうる、ポジティブな別れ歌。

「地平線(ホライゾン)」
(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお/編曲:萩田光雄)
来生姉弟による「異邦人」を意識しまくったエスニック歌謡。ここで既にSAND BEIGEなどの孤独な旅路線があった。影は薄いけどこれも名曲。自ら彼の元を離れてしまう孤独さがもう板についてるとは…。

「哀愁のMidnight」
(作詞:有川正沙子/作曲:玉置浩二/編曲:萩田光雄)
また玉置氏作曲による、彼の吐息まじりの歌声が聞こえてきそうなボッサ風の哀愁ソング。全体的なハイトーン使いの曲はすごく珍しい。摩天楼という今や懐かしい大人アイテムが登場している。

十戒(1984)」
(作詞:売野雅勇/作曲:高中正義/編曲:高中正義萩田光雄)
ここまでやれば満足だろ!と言っていいくらいやりすぎなツッパリ歌謡シングル第3弾。編曲に高中氏の名前が先にあることからも分かるように打ち込み・シンセサイザーメインによるアレンジとなっていて、禁区の謎ピコピコのリベンジはここで果たせたのではないか。
オケヒットだのキラキラ音だの雷だの、とっちらかった効果が邪魔しない程度に後ろで小さく鳴るミックスが秀逸。この次のシングルが「飾りじゃないのよ涙は」であることに改めて驚く。少女Aから連綿と続いた売野氏によるツッパリ路線はこれにて終了となった。

「白い迷い(ラビリンス)」
(作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお/編曲:萩田光雄)
また来生姉弟によるバラード。これは十戒とシングル候補に並んでいた曲だという。実は来生姉弟による名曲提供もここで終わるのである。歌詞の世界は既に冬に達している。

「Blue Misty Rain」
(作詞:有川正沙子/作曲:松田良/編曲:萩田光雄)
シャット・アウトに続いてファンキーなミドルナンバー。ついこの間までウソっぽいエロソング歌わされてたとは思えない堂々とした歌いっぷり。しかし、同じ松田氏による曲だが、まだアップテンポとバラードの組み合わせで書いて貰ってるんですね。

「ドラマティック・エアポート─北ウイングPartⅡ─」
(作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:萩田光雄)
見てそのまま聴いてそのまま、北ウイングの続編。ベタだしあざといんだけど、ここまで徹底すれば逆にかっこいいと思うか、企画臭が嫌だと思うかはリスナー次第。それにしても萩田さん、林さんのアレンジをしっかりなぞっているのが見事だな。後に南野陽子で大滝アレンジをなぞることになる手腕は既に発揮している。

というわけで、前作ANNIVERSARYに続いてアイドル歌謡を歌っていた少女が大人のシンガーへと駒を進めるべく、今までのおさらいとこれからを提示した好盤となった。
歌唱力もどんどん向上している時期だけあって
アイドルも楽しめるし、大人シンガーも楽しめるし、大衆への分かりやすいセールスポイントもある、中森明菜としてはむしろ珍しい部類の「J-POP的」な作りのアルバムである。
これを以て、次からいよいよ本人の趣味と実益を兼ねた独自路線へと邁進して、名盤「BITTER & SWEET」の登場となる。

http://mora.jp/package/43000008/825646249763/